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闘病という名の悪魔 (月光) からの続編です。

僕は、完全に自分を見失っていたようですな。

当時は、透析初期を共に生きてきた透析仲間たちがたくさんいたのに、1人、また1人とこの世を去っていく。

そのたびに現実に引き戻される。

透析導入期からお世話になっていたスーパー看護師のOさんまでもが退職されていく。
心の拠り所を失っていくのですな。
そもそも、病院の泌尿器科で、いよいよ透析を始めなくてはならないとなった時に、僕は主治医に言ったのですな。
「いや、透析って言ってもどんなのか分からないし、費用とか、手続きとかも分からないですから。簡単に透析を受けろと言われても、ハイそうですか!とは言えませんよ。」と。

そうしたら、最初にやって来たのが、スーパー看護師のOさんだったのですな。

懇切丁寧に透析に関して説明してもらえました。
Oさんは、僕が社会復帰できるところまで考えていたようです。

更にソーシャルワーカーさんと栄養士さんを紹介され、手続き面と食生活のレクチャーを受けました。

この病院では、透析を受けてる方は50人程度でしたが、その中には遠くからOさんの噂を聞きつけ、通ってきてらっしゃった患者さんもいました。

主治医はこの病院の副院長さんですし、透析室の看護師トップは主任でしたが、この2人よりも透析室内では力があり、実質トップの看護師さんでしたね。

恐らくは、資格や留学などの看護師としてのスキルが桁違いだったのでしょう。
Oさんがいなくなった後に、腎移植に関する相談窓口や、社会復帰に関する相談窓口がなくなりましたし。

Oさんの看護師としての実力は言うまでもなく、ある日、透析中の患者さんが心停止を起こした際ですが、

早速Oさんの声が透析室に響きました!
「先生呼んで来て!」

しかし、その時は主治医は手術中でした。
看護主任さんが手術室へ走りました。

透析中だった僕は頭を上げ、一部始終を見ていました。
何事かな?

Oさんが処置を始め、他の看護師さん3人ほどがOさんの指示に従ってテキパキと色々用意を始めました。

さっと、パーテーションが引かれ、あっという間に様々な機器が運ばれてきました。
パーテーションの隙間から見えていた部分ですが、Oさんによる心臓マッサージが始まっていたようです。

そこに主任さんが帰ってきました。
「先生、手術中で手が離せません!」

「そしたら、誰でもええ!そこらの先生呼んできて!」
再び主任さんが走ります。
透析室の隣は脳外科、皮膚科の外来でした。

早速、脳外科と皮膚科の女医さんが飛んできました。

が、この時点でOさんは患者さんの蘇生に成功しておりました。

脳外科の先生が後は引継ぎ、事後処置をして終了。
患者さんは無事生還できたようでした。

このように、実力的にも、主治医がいない場合はOさんが中心になって連携できる状態だったのですな。
これだけの看護師さんが去って行った訳ですからね。

僕はテレビドラマでも見ているかのような光景に驚きましたが、後にこの光景を目撃した患者さんたちで
「Oさんがいたら、永久に死ねんの!」っていう話題で盛り上がりましたな。

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Oさんがいなくなり、仲間たちもいなくなり、次々に孤独感が押し寄せてくる透析となってしまった僕は、1人寂しく透析を受け続けておりました。

Oさんがいなくなり、最初に起きた事は、僕の透析ベッドが安定しなくなったという事です。

というのも、それまでは透析室の1番端っこのベッドで固定されていました。
他の患者さんたちも同様でしたけどね。

ところが、それ以来、
「あっ!トシさん、今日はそっちのベッドでお願いします。」という感じで、毎回違うベッドで透析を受けていたのですな。

まあ、透析室の都合で、便利使いされてしまってたみたいです。
透析ベッドが埋まり切ってしまっており、ベッドの余裕が無いため、そういう事が起きていたんでしょう。
ちょうど落ち込んでる時期に起きていたので、何だか疎外感を覚えましたな。

そういう事が3か月も続くと、最初は協力的に「はい、はい!」と指示通り透析していた僕も段々と苛立つようになり、全てが敵のように思えるようになっていきました。

なんで僕だけ・・・。

更にある時、医師から、
「トシさんは遠くから来てますし、地元病院に転院されてみてはいかがですか?」という声がかかりました。

まあ、僕だけではなく何人かに声はかけていたんでしょうけど。
僕としてはベッドを毎回変えられていた事で、自分の透析ベッドの確保の心配をせねばならないと思っていた矢先にそういう事を言われたので、カチンときてしまい、
「じゃあ、行けるかどうか手配すればええやん!」と半ばあきらめ気味に言いました。

医師が早速地元病院に電話していたようです。

しばらくして、
「トシさん、地元病院も満床のようです。」

はぁ?
いや、お前が転院したらどうかと言って来たんだろ、出来ないんだったら言うな!
と言いかけましたが飲み込みましたな。

まあ、普通に考えたら、遠くから透析に通うのは大変なのと、病院の空きベッド数に余裕が無いためも含めてそういう話になってしまったと思いますけどね。

ちょうど、色んな事が重なっていて落ち込んでいた時期でしたから。

これが僕の精神を大きく蝕みましたな。

次の透析の日、僕は一端透析室に入りますが、「やっぱ、やめた~!」となって病院を後にしました。
駅のホームで、
「う~ん、今までお世話になってるしな、何も言わず勝手に帰るのは良くないな。」と思い直し、再び病院の透析室に戻りました。

そこでは、看護師さんたちが僕を探す光景が見られました。

まあ、そうなるよな。
と焦りながら、
「すいませ~ん、今この時をもって、透析は辞めます!空きベッドもないようですし!」

僕の中では、今死んでも、頑張って長生きしてから死んでも、そう大差ないと思ってしまっていましたからね。
仲間の死、Oさんの退職、いつか死ぬなら別に今でも構わない、そう思うようになっていました。

ほとほと疲れました。

僕は変なところに潔癖症があって、人が使ったものには極力触りたくない症候群があるのですな。
ベッドがコロコロ変わる事自体が、誰が使ったか分からないベッドという感覚になり、そういう苦痛もありました。

また、「転院」という具体的な言葉を聞いてしまったというのが引き金になってしまったのでしょうな。

この時、スーパー看護師のOさんに変わって僕の担当になっていたのが、もう1人のOさんでした。
Oさんを含め、ベテラン看護師さんたちに囲まれ、説得されました。
しかし、僕は思いのたけをぶつけ、
「こんな思いまでして生きていたくありません。もう終わりにしたいです。」
と気持ちをぶちまけました。

それまでは不満があっても直接打ち明けたりはしてませんでしたからね。

で、
「では、皆さん、今までお世話になりました。さようなら!」と立ち上がり、透析室を出ようとしました。

そこに、Oさんが立ちはだかり、行こうとする僕を全力で妨げてきました。

絶対に透析室から外には出さない!という覚悟を感じました。

半ば、Oさんに抱き付かれるような形となってしまい、そこで僕は我を取り戻すのですな。

はっΣ(´д`;)

今、何時ですか?
時計を見ると10時前になっていました。

ずいぶん遅くなってしまいましたぁ。
着替えてきます~。

僕は恥ずかしさでいっぱいとなり、キョトン状態の看護師さんの脇をすり抜け更衣室に向かいました。

Oさんの必死さに、自分を取り戻せたのですな。
度重なる色々な出来事で、完全に自分を見失っていました。

僕は、自分のやってる事がやたら子供じみていると感じ、自分を恥じながら、着替えて透析を受けました。
去来する数々の悲しみ、死の恐怖、そういった事を振り払うように、透析を受けました。

しかし、悲しみは透析でろ過される訳でも無く、やはり心に突き刺さってきます。

この病院ではその後、この命の恩人でもあるもう1人のOさんも病棟勤務になってしまい、もう1人いた癒し系の看護師さんも病棟に移ってしまい、ドンドン寂しいものになっていきました。

一端は、我を取り戻しながら、優秀な看護師さんが次々といなくなり、やがては厄介な患者さんたちのパラダイスになっていこうとしていました。

患者の怒鳴り声が蔓延し、苦痛のさなか、僕は辛うじて自分を保っていました。

そして、透析開始から7年の月日が経とうとしていました。


悲しみは雪のように 浜田省吾


君の肩に悲しみが 雪のように積もる夜には
心の底から誰かを 愛することができるはず
孤独で君の空っぽの そのグラスを満たさないで

誰もが泣いてる 涙を人には見せずに
誰もが愛する人の前を 気付かずに通り過ぎてく

君は怒りの中で 子どもの頃を生きてきたね
でも時には誰かを 許すことも覚えてほしい
泣いてもいい恥じることなく 俺もひとり泣いたよ

誰もが泣いてる 涙を人には見せずに
誰もが愛する人の前を 気付かずに通り過ぎてく

君の夢 時の中で 壊れるまで抱きしめるがいい

誰もが泣いてる 涙を人には見せずに
誰もが愛する人の前を 気付かずに通り過ぎてく
悲しみが雪のように積もる夜に


闘病という名の悪魔!(ファイト!) へつづく


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