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創価学会の人が数年前によく勧誘というか、話に来てたんですな。

ん~(-_-;)

僕は20代の頃に一通り宗教については勉強してるんで、今更全く興味がない。

と言うかね、どっかの宗教に入って、病気が治った!とかいう類は好かんのですな。
あはは(^◇^)
えっ?
トシさん、オカルト好きなんではないですか?

なのになぜ?
結局さあ、宗教を勉強するとどうしてもシッタルダ(御釈迦様・仏教)と日本神道になっちゃうんですよ。

そうなってくると、「借銭済まし」がメインテーマとなるんですな。
「借銭済まし」とは、生きてるうちに起こした因縁の借りは生きてるうちに返す!という理念なんですな。

そこに何らかの神秘のパワーを使って病気を治したら、「借銭」が残ったままとなってしまいますから。

今、僕がこういう病気になってるのも、言ってみれば「借銭」を返していってるようなもんですから。

そういう神秘のパワーを振りかざしてくる宗教が好かんのですな。

こういう病気になるにも意味があると信じたい僕にとっては、そういうのは無意味ですからな。
何度も断ってるうちに来なくなりました。

まあ、意味はあるんでしょうな。
良い事もあれば、悪い事もある。

悪い事が起きる時は、過去の因縁が自分に降りかかって来てる、そう思えば良いですな。

金を拝むヤツは金持ちになり、健康を拝む者は健康になるんですな。
ちゃんとその道を歩むからです。

「マルサの女」で、金持ちが、
「コップに水を入れ、あふれたやつを飲む」と言ってたように、金持ちになるには無駄金を使わないという事なんでしょう。

一方、健康を拝めば、健康になると言いたいところですが、僕のようにすでににっちもさっちも行かないところまで病気が進んでると、そうもいかない訳ですわ。

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ですのでね。
こういうのも受け入れるより他にはないですな。

あはは(^◇^)
「借銭済まし」ですわ(*'▽')

これまでの小さな事の借りを生きてるうちに返しときましょ。
生きてるうちに返しきれないほうが大変ですからな。

つい先日、あるナースさんから、こういう言葉を聞きました。

「自分の弱さを認める強さ」

ん~(-_-;)
良い言葉ですな。

なかなか自分の弱さっていうのは認めたくありませんからな。
しかし、虚勢を張って生きるというのは、傍からみてたらバカみたいですからな。

そういう生き方よりも、己を知る事が大切なのですな。

あはは(^◇^)
まあ、僕もそうですが、人の事をとやかく言ってるうちは、自分の事が見えておりませんからな。

そもそも、人にとやかく言ってる時点で、自分の事は必ずと言っていいほど棚に上げてますから。

そうならぬように、自分の弱さも認められるような大人になりたいですな。

まあ、そう感じますな。
さすが、キラキラナース!
良い事言うわぁ(*'▽')

(キラキラナースと呼ばれてる(自称とも?)看護婦さんが言ってた言葉です)

僕もですな、世の中の魔の手に相当浸食されております。
どうしてもですな、ブログを書いてると本音が出てしまい、普段言わないような事まで書いてしまっておりますからな。

そうした傲慢が自分に跳ね返る。
そして、しんどい目に遭う訳です。

そう言えば、大事な事は人から聞く事が多いのですな。
自分が(自分の中の何かが)人の口から自分に語り掛ける、という事が起きるのですな。
なのでね、人が言ってる事は大事にしたほうが良い場合もある。

まあ、そういう事を気付かせてくれますな。

さて、長き道のりですが、生きてる限りは食らいついていきますかっ(>_<)



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