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僕が透析導入した病院は、大病院だったんですよね。
僕は、ネフローゼが発覚した32歳の時は高松市にある姉夫婦が借りていたアパートに住んでいて、そこから自転車で5分もかからない病院に通ったり入院してました。
(透析導入の頃は自分で借りた別のアパートに住んでいました)
ずっと内科で受診していたんですが、38歳になって腎不全が悪化傾向になり、内科の先生からは「人工透析」の必要がある話などを聞きました。
結果として、その後「泌尿器科」での診察が始まり、そのままその病院の透析センターで透析を受ける事になりました。
僕は、ネフローゼが発覚した32歳の時は高松市にある姉夫婦が借りていたアパートに住んでいて、そこから自転車で5分もかからない病院に通ったり入院してました。
(透析導入の頃は自分で借りた別のアパートに住んでいました)
ずっと内科で受診していたんですが、38歳になって腎不全が悪化傾向になり、内科の先生からは「人工透析」の必要がある話などを聞きました。
結果として、その後「泌尿器科」での診察が始まり、そのままその病院の透析センターで透析を受ける事になりました。
透析導入の病院次第で色んな事が左右される
僕の場合は、その大病院の透析センターで7年近く透析を受けた訳です。
そうすると、そこでの「しきたり」が当たり前になるという事ですね。
このブログでは結構クソミソ書いてる事もあるんですけど、大病院ならではの良いところも多々ありますね。
例えば、血液検査の結果が出るのが早く、次の透析の際には主治医が回って来て結果だけ口頭で教えてくれます。
なので、リンやカリウムが高くても、その原因は掴みやすかったですな。
数日前の食事を思い出せば良いだけですから。
しかも、最初の頃はスーパー看護師のOさんがいましたので、月末に血液データや今後どういう事に気を付けたら良いか書き込んでくれている用紙をくれました。
まあ、Oさんがいた時といなくなってからの透析センターの空気感がガラリと変わってしまったのは、患者にとっては痛かったですな。
Oさんの噂を聞きつけ遠方から通ってる患者さんもいましたから。
1人のスーパーエース的看護師がいるだけで大きく変わるというのはよく分かりました。
ほとんどの患者さんはOさんを信頼して命を預けてた感覚がありましたんでね。
Oさんがいなくなって、雰囲気が変わってしまうのは当然だったかも知れませんね。
それだけ、患者によくしてくれた看護師さんでしたね。
あはは(^◇^)
先生に(医師に)食って掛かる看護師さんなんかそうは見かけませんからね。
「先生、2度と患者にそういう事を言ったらダメですよ!」とバックヤードで30代の看護師がベテラン医師に注意してるのをたまたま見かけた事がありました。
すげ~。
先生もタジタジでしたな。
まあ、そういう看護師さんだったので、Oさんを中心に透析センター内が医療者も患者もよくまとまっていました。
一方、透析センターと言っても、透析病床は13床しかなかったので、大きなところではありませんでした。
病院内患者会もありませんでしたね。
なので、患者会などというのは全く知りませんでしたな。
なんとなく数年後、全腎協というのがある事は知りましたが、単なる政府機関か何かかと勘違いするレベルでした。
どうしても自分が受けている透析が当たり前になりますのでね。
正確にはよく覚えていないですが、ある時、ダイアライザーが大きくなった記憶はあります。
最初に使ってたのが一般的なヤツだったと思うんですけども、1年後くらいからは今も使ってる東レの「トレライトNV21-x」になりましたね。
今もずっとコレなんですが、最初の頃のダイアライザーは見た目も血で真っ赤になるタイプでしたね。
今のは血の色がダイアライザーでは分かりにくいです。
(チューブ内で血の色は見えますけどね。)
狭い透析室で、ベッドがびっしりでしたので、周りの患者さんと血の色を見比べたりしてました。
しかも、今でこそそういう透析機器は見ませんが、回収の際は看護師1人が付きっ切りでカンシでカチカチと血液を送るタイプでした。
「腕や握力が鍛えられそうですね~(*'▽')」
「そうなんよ~。腱鞘炎になるわ~。」
といった会話をしてましたな。
透析情報を知り始める
あはは(^◇^)
透析時間、血液流量・・・(-_-;)
そんなのは気にした事すらありませんでした。
透析5年を過ぎた頃、50代の患者さんが透析導入され、家が同一方面でしたので車で途中から送ってもらったりして、その方がネット上にある情報をいくつか教えてくれた事がありました。
透析を受けてる透析医がいるぞ。
透析時間は長い方が予後がいいそうだ。
まあ、何かの本でを読んで(多分、透析室にあった透析の本)全国では6時間透析なるモノがあるらしいというのは知ってましたけどね。
透析で血をキレイにしてるという理屈は知ってましたんで、普通に考えれば透析時間が伸びればそれだけ血がキレイになるという事は分かりますが。
それ以上の情報は持ってなかったので、かなり聞き入りましたね。
しかし、導入病院時代も2人くらい5時間透析をしてる人がいたんですが、いずれも増え幅が常に4キロ以上の人だったので、時間延長=摂生出来ない人というイメージは持ってました。
Oさんがいなくなった後、増えの多い人は栄養指導で入院させたり、また、そんなに増えてくるんだったら、毎日透析してもらうぞ! なんて言われたりしてるシーンがありましたのでね。
時間延長や、頻回透析は、摂生出来ない人への罰則みたいな感じにしか受け止めていませんでしたよね。
ひえ~(-_-;)
罰則は嫌だあ・・・と思って必死に摂生してました。
今の知識があったら、
「ぜひ、毎日透析して下さい!」ってなりますよね(^◇^)
この時の病院では透析時間が4時間弱だったんですよね。
体重測定が100分の1まで出してましたので、時間当たりの除水設定に半端が出るため、4時間で割り切れないためキリの良いところで終わるパターンでした。(意味分かりにくいですよね(-_-;) 簡単に言えば除水が完了した時点で同時に透析も終わりでした。回収に1人の看護師さんが付きっ切りなので、終わるタイミングをずらさないといけなくなり、透析時間も多少の差をつけてる感じもありました。1人の看護師さんが2人の患者さんの回収を担当しないと人数的に対応できないので、最初の1人目を早めに終わらせ、2人目を長くするなどのやり方もしてましたね)
おおよそ3時間52分から3時間58分くらいの透析時間になってました。
1人目の患者を3時間52分で終わらせ、2人目を穿刺時間を5分ずらして透析時間を3時間58分にしておけば、1人目の回収時間が確保できるというやり方だと思います。
まあ、血液流量などは全く気にしてませんでしたが、Oさんがいた時代に書いてくれてたのがあったので、当時は血液流量200だった事が分かります。
圧の関係でブザーが鳴るような場合は160とかにまで下がってた事もあったようです。
なので、そういうのが全国で当たり前だと思ってましたね。
違うんですな(-_-;)
当たり前じゃなかった。
実際に、その後転院した際に、全く違う透析機器でしたので、そこで機械にも色々あるという事に気付きましたし。(多分メーカーも違ってたと思います。転院先ではニプロの機器でした。多分。透析終わりのブザーがニプロのテーマ曲だったので。違ってたらすいません)
転院した際には、機械が違うのは一見して分かりました。
(ちょっとだけ形が微妙に違ってましたので)
更に、透析スタイルの違いを大きく感じまして、若干不安になりましたね。
というのも、最初の病院では回収の際に1人の看護師が付きっ切りです。
が、2つ目の病院では、回収のタイミングがほぼ同時で、1人で何人もの患者さんの回収を担当してまして、アチコチ飛び回りながら回収してました。
(まあ、こっちが普通ですが、当時は最初の病院が普通だという固定観念があった)
当然だと思っていたスタイルでなかった場合、不安になりますよね。
実は大笑いな一件があったんですけどね(*'▽')
2つ目の病院では回収はほったらかしなんですよ。
カンシでカチカチ血を送る必要性はなく、ボタンを押せば勝手に血を返してきます。
1300ccの生食をぶら下げてるタイプで、1000ccでプライミングをしてますんで、300cc残った生食を流し込んで返血するタイプだったんですね。
当然、その300ccの生食が全部送り込まれた時点で、(圧力の関係で)返血は勝手に止まります。
なので、空気が体内に入って来る心配はないんですよね。
しかし、僕は最初そういう事を知りませんから、誰も来ずほったらかしで、チューブ内の空気がずっと進んでくるのを見て、ビビッてしまい、チューブ部分を自分で折り折りにしてチューブ内の空気層がこっちへ進んでこないようにしてたという(-_-;)
思わず、
「何で誰も来てくれんの? 空気入るやん!('Д')」と叫んでしまいました。
えっ、となった技士さんが、細かく説明してくれました。
ああ、そういう事ですか(-_-;)
あはは(^◇^)
知らぬという事やシステムが違う場合は結構焦りますよね。
実は最初の病院時代に技士さんから、
「昔は返血の際に空気が入って患者さんが死んでた」などという話を聞いた事があったので、てっきりこの時にこういうミスで空気が入って死ぬのかと勘違いしてしまった訳です。
(ミスでは無い訳でして)
瞬時に危険を察知してしまい、大声を出してしまいました。
赤っ恥ですな(-_-;)
チューブ内の空気層が、僕の穿刺部分に向かってくる恐怖。
あれはビビりますね~。
昔はエアー返血で、空気の圧力で返血してたというのを知って驚きますね。
回収も命がけやな(*´Д`)
まあ、そういうオモシロ体験があった訳で。
転院すると、そういった今までのシステムと違った場合などに焦る場合もありますな。
一方で、2つ目の透析病院では師長さんが、
「これからは透析時間を伸ばしてしっかり食べしっかり透析の時代」と言って5時間透析にしてくれました。
ん?
5時間透析は、増えすぎる患者さんへの罰則ではないんですか?
あはは(^◇^)
そういう誤解もまだ持ってましたね。
技士さんが来て、
「どうですか? しっかり食べのほうもちゃんとやってますか~? 体調は良くなりましたか~?」って言うのを聞いて徐々にその誤解は解けましたけどね。
ただ、師長さんも定年退職し、その技士さんも退職された後は、また時間延長が罰則扱いになってしまうんですけどね。
新たに来た主任看護師さんは患者を「ダーリン♡」と呼び、なんか段々と空気感が悪くなってしまいました。
5時間透析を受けてるとベッドの空きの関係で嫌がられる感じになっていきましたね。
なんか、何も言えず、ただ患者さんは黙々と透析を受けなくてはいけないという雰囲気に包まれ、小声で「クソー!」と言ってる患者さんが増えましたな。
最悪の状態でした。
僕は2度目の転院をし、今の病院にやって来ました。
最初に面接に行ったんですが、主治医となる院長先生は美人な上に姉御肌的なシャキシャキした人で、年は僕より下なんですが、自分の姉を見てるような感じで安心できました。
また、透析室室長さんは、これまでの技士さんのイメージとは全く異なる超ベテランさんで、一見して安心感を覚えましたね。
(定年だけが心配ですが)
送迎もしてくれる事となり、1番の心配点だった通院の部分が無くなったおかげで安心して透析に集中できる事になりました。
(遠いので帰りとかに血圧が下がって困る心配)
また、透析システム自体もオンラインもやってるそうですし、患者会会長は6時間透析してるという事で、ある意味、香川では革新的な部類に入ると思います。
非常に恵まれた環境にあると思いますね。
でもですな、普通に行っても片道1時間かかる場所の病院ですから。
送迎ですと寄り道がありますので、往復2時間40分もあります。
まあ、そういう遠方の送迎までしてくれる病院でもあります。
ここで、最初に受けた透析では未知の世界でした。
まず、血液流量が250になってまして、針が太くなってました(16G)
先日の香川県県腎協の総会にて
まあ、2015年の3月に今の病院に転院したんですが、その後は2015年11月にネット環境を自宅に持ちまして、とうとうネットデビューする訳ですな。
で、ブログを書き始め、TwitterやFacebookもやるようになりました。
実はやってないだけで、昨日はインスタも登録してみましたし、ミクシィも以前からアカウントは持ってます。
そうすると多くの透析仲間に出会え、色んな情報を得る機会が増えました。
それは、このブログを読んでいてもよく分かると思います。
僕がこれまでどういう透析環境にいたのか。
血液流量とかKt/Vとか全く気にしてない感じが最初の頃はよく出てたと思いますな~(*'▽')
実は先日の県の総会の時に、座る場所は各病院の患者会の方たちで大体固まって座ってると思います。
で、僕の所の患者会は中央のやや後方に位置して座ってました。
たまたま隣には前にいた2つ目の病院の患者会の方たちが座ってました。
そこの会長さんは僕もよく存じてますので、目が合った際に何度か頭を下げたんですが、シカトされてしまいましたな。
なんじゃ?
まあ、例の事件で全責任を取って転院した経緯があるので、どうせ悪く言われているか(あくまで僕が責任を取る事で全てが丸く収まるという事で責任を取っただけで、僕には責任はほとんどないと思います。)、もしくはこのブログで悪く書いてるのでそれを知っててシカトされたかのどちらかでしょうな。
総会では、長期透析者の表彰があるんですが、今回は40年表彰の方もおられました。
もちろん、長期表彰というのは導入年齢や原因疾患にも左右されるとは思いますが、少なくともその年月を透析生活してきたその忍耐力に捧げたい表彰ですね。
(かなりのいばらの道だったと思います)
まあ、5年ごとの区切りで20年以上の方に表彰されますので、タイミング的な問題もありますんで、受賞者のいない透析病院もあるでしょう。
しかし、僕はよく知っています。
3つの病院を渡り歩いた結果、そういう表彰にほとんど載せる事の出来ない病院があるという事もね。
僕の今通う病院からは3名の受賞者が出ました。
隣にいた前の病院からはゼロでした。
そしてなぜそうなるのかを僕はよく知っています。
恐らく隣に座っていた方たちはかつての僕と同じで、5時間透析は摂生出来ない人への罰則としか認識がないでしょうね。
血液流量はおろか、自分の使ってるダイアライザーの名称すら気にしてないと思います。
隣の会長さんがボソっと
「うちから表彰者出るまでまだだいぶあるなぁ。」と言ってました。
そら、そうだろ。
僕はそう思いましたな。
まあ、田舎の透析病院なので、高齢者が多いという部分もあるんですが、医療者の都合の良いように飼いならされた患者たちばかりの病院であるという事に本人たちは気付いていないようです。
残念ですな。
自分の病気にもっと詳しくなりたいとは思わないんだろうか?
そういう意味では自由に発言できる病院は有難いですな。
自分の病気なのに都合の良い部分だけ知識を与えられ、何の疑問も持たず透析している。
もちろん、その信頼に値する病院だった場合は問題無いんですが、意図的に情報を遮断してるところもあるのですな。
そういうところでは、僕のような存在は悪く言われがちなのでしょう。
やってもいない悪質なデマでも流されてるんでしょうな。
で、このブログも見ないように言われてるんでしょう。
まあ、そんな気がしました。
一方で、ブログ見てます~。
という方もおられました。
嬉しいと同時にそういう人は前向きで、プールに泳ぎに行くんですとか、どこそこに遊びに行ってるんですとか、そういった話をされてました。
なるほど~(*'▽')
かつての僕のようにならぬよう、やはりネットに入って来た人たちは交流も持つべきですな。
そして、互いに苦悩し葛藤しながら、情報交換をして希望の持てる透析生活をしてるんでしょう。
「知らない」という事がこれほど人生に大きな影響を与える事がある。
そういう事を知って欲しいですな。
実際に僕が経験した事です。
透析病院に患者予後の格差が大きいという事実は絶対に否定できませぬよ( `ー´)ノ
*「飼いならされた患者」というのは語弊があり、大きな勘違いも生むと思います。
このテーマでもう少し掘り下げたモノも書く予定でおりますのでよろしくお願いします。
↓↓↓恐れ入りますがお帰り前に応援ポチをよろしくお願い申し上げます。
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僕の場合は、その大病院の透析センターで7年近く透析を受けた訳です。
そうすると、そこでの「しきたり」が当たり前になるという事ですね。
このブログでは結構クソミソ書いてる事もあるんですけど、大病院ならではの良いところも多々ありますね。
例えば、血液検査の結果が出るのが早く、次の透析の際には主治医が回って来て結果だけ口頭で教えてくれます。
なので、リンやカリウムが高くても、その原因は掴みやすかったですな。
数日前の食事を思い出せば良いだけですから。
しかも、最初の頃はスーパー看護師のOさんがいましたので、月末に血液データや今後どういう事に気を付けたら良いか書き込んでくれている用紙をくれました。
まあ、Oさんがいた時といなくなってからの透析センターの空気感がガラリと変わってしまったのは、患者にとっては痛かったですな。
Oさんの噂を聞きつけ遠方から通ってる患者さんもいましたから。
1人のスーパーエース的看護師がいるだけで大きく変わるというのはよく分かりました。
ほとんどの患者さんはOさんを信頼して命を預けてた感覚がありましたんでね。
Oさんがいなくなって、雰囲気が変わってしまうのは当然だったかも知れませんね。
それだけ、患者によくしてくれた看護師さんでしたね。
あはは(^◇^)
先生に(医師に)食って掛かる看護師さんなんかそうは見かけませんからね。
「先生、2度と患者にそういう事を言ったらダメですよ!」とバックヤードで30代の看護師がベテラン医師に注意してるのをたまたま見かけた事がありました。
すげ~。
先生もタジタジでしたな。
まあ、そういう看護師さんだったので、Oさんを中心に透析センター内が医療者も患者もよくまとまっていました。
一方、透析センターと言っても、透析病床は13床しかなかったので、大きなところではありませんでした。
病院内患者会もありませんでしたね。
なので、患者会などというのは全く知りませんでしたな。
なんとなく数年後、全腎協というのがある事は知りましたが、単なる政府機関か何かかと勘違いするレベルでした。
どうしても自分が受けている透析が当たり前になりますのでね。
正確にはよく覚えていないですが、ある時、ダイアライザーが大きくなった記憶はあります。
最初に使ってたのが一般的なヤツだったと思うんですけども、1年後くらいからは今も使ってる東レの「トレライトNV21-x」になりましたね。
今もずっとコレなんですが、最初の頃のダイアライザーは見た目も血で真っ赤になるタイプでしたね。
今のは血の色がダイアライザーでは分かりにくいです。
(チューブ内で血の色は見えますけどね。)
狭い透析室で、ベッドがびっしりでしたので、周りの患者さんと血の色を見比べたりしてました。
しかも、今でこそそういう透析機器は見ませんが、回収の際は看護師1人が付きっ切りでカンシでカチカチと血液を送るタイプでした。
「腕や握力が鍛えられそうですね~(*'▽')」
「そうなんよ~。腱鞘炎になるわ~。」
といった会話をしてましたな。
透析情報を知り始める
あはは(^◇^)
透析時間、血液流量・・・(-_-;)
そんなのは気にした事すらありませんでした。
透析5年を過ぎた頃、50代の患者さんが透析導入され、家が同一方面でしたので車で途中から送ってもらったりして、その方がネット上にある情報をいくつか教えてくれた事がありました。
透析を受けてる透析医がいるぞ。
透析時間は長い方が予後がいいそうだ。
まあ、何かの本でを読んで(多分、透析室にあった透析の本)全国では6時間透析なるモノがあるらしいというのは知ってましたけどね。
透析で血をキレイにしてるという理屈は知ってましたんで、普通に考えれば透析時間が伸びればそれだけ血がキレイになるという事は分かりますが。
それ以上の情報は持ってなかったので、かなり聞き入りましたね。
しかし、導入病院時代も2人くらい5時間透析をしてる人がいたんですが、いずれも増え幅が常に4キロ以上の人だったので、時間延長=摂生出来ない人というイメージは持ってました。
Oさんがいなくなった後、増えの多い人は栄養指導で入院させたり、また、そんなに増えてくるんだったら、毎日透析してもらうぞ! なんて言われたりしてるシーンがありましたのでね。
時間延長や、頻回透析は、摂生出来ない人への罰則みたいな感じにしか受け止めていませんでしたよね。
ひえ~(-_-;)
罰則は嫌だあ・・・と思って必死に摂生してました。
今の知識があったら、
「ぜひ、毎日透析して下さい!」ってなりますよね(^◇^)
この時の病院では透析時間が4時間弱だったんですよね。
体重測定が100分の1まで出してましたので、時間当たりの除水設定に半端が出るため、4時間で割り切れないためキリの良いところで終わるパターンでした。(意味分かりにくいですよね(-_-;) 簡単に言えば除水が完了した時点で同時に透析も終わりでした。回収に1人の看護師さんが付きっ切りなので、終わるタイミングをずらさないといけなくなり、透析時間も多少の差をつけてる感じもありました。1人の看護師さんが2人の患者さんの回収を担当しないと人数的に対応できないので、最初の1人目を早めに終わらせ、2人目を長くするなどのやり方もしてましたね)
おおよそ3時間52分から3時間58分くらいの透析時間になってました。
1人目の患者を3時間52分で終わらせ、2人目を穿刺時間を5分ずらして透析時間を3時間58分にしておけば、1人目の回収時間が確保できるというやり方だと思います。
まあ、血液流量などは全く気にしてませんでしたが、Oさんがいた時代に書いてくれてたのがあったので、当時は血液流量200だった事が分かります。
圧の関係でブザーが鳴るような場合は160とかにまで下がってた事もあったようです。
なので、そういうのが全国で当たり前だと思ってましたね。
違うんですな(-_-;)
当たり前じゃなかった。
実際に、その後転院した際に、全く違う透析機器でしたので、そこで機械にも色々あるという事に気付きましたし。(多分メーカーも違ってたと思います。転院先ではニプロの機器でした。多分。透析終わりのブザーがニプロのテーマ曲だったので。違ってたらすいません)
転院した際には、機械が違うのは一見して分かりました。
(ちょっとだけ形が微妙に違ってましたので)
更に、透析スタイルの違いを大きく感じまして、若干不安になりましたね。
というのも、最初の病院では回収の際に1人の看護師が付きっ切りです。
が、2つ目の病院では、回収のタイミングがほぼ同時で、1人で何人もの患者さんの回収を担当してまして、アチコチ飛び回りながら回収してました。
(まあ、こっちが普通ですが、当時は最初の病院が普通だという固定観念があった)
当然だと思っていたスタイルでなかった場合、不安になりますよね。
実は大笑いな一件があったんですけどね(*'▽')
2つ目の病院では回収はほったらかしなんですよ。
カンシでカチカチ血を送る必要性はなく、ボタンを押せば勝手に血を返してきます。
1300ccの生食をぶら下げてるタイプで、1000ccでプライミングをしてますんで、300cc残った生食を流し込んで返血するタイプだったんですね。
当然、その300ccの生食が全部送り込まれた時点で、(圧力の関係で)返血は勝手に止まります。
なので、空気が体内に入って来る心配はないんですよね。
しかし、僕は最初そういう事を知りませんから、誰も来ずほったらかしで、チューブ内の空気がずっと進んでくるのを見て、ビビッてしまい、チューブ部分を自分で折り折りにしてチューブ内の空気層がこっちへ進んでこないようにしてたという(-_-;)
思わず、
「何で誰も来てくれんの? 空気入るやん!('Д')」と叫んでしまいました。
えっ、となった技士さんが、細かく説明してくれました。
ああ、そういう事ですか(-_-;)
あはは(^◇^)
知らぬという事やシステムが違う場合は結構焦りますよね。
実は最初の病院時代に技士さんから、
「昔は返血の際に空気が入って患者さんが死んでた」などという話を聞いた事があったので、てっきりこの時にこういうミスで空気が入って死ぬのかと勘違いしてしまった訳です。
(ミスでは無い訳でして)
瞬時に危険を察知してしまい、大声を出してしまいました。
赤っ恥ですな(-_-;)
チューブ内の空気層が、僕の穿刺部分に向かってくる恐怖。
あれはビビりますね~。
昔はエアー返血で、空気の圧力で返血してたというのを知って驚きますね。
回収も命がけやな(*´Д`)
まあ、そういうオモシロ体験があった訳で。
転院すると、そういった今までのシステムと違った場合などに焦る場合もありますな。
一方で、2つ目の透析病院では師長さんが、
「これからは透析時間を伸ばしてしっかり食べしっかり透析の時代」と言って5時間透析にしてくれました。
ん?
5時間透析は、増えすぎる患者さんへの罰則ではないんですか?
あはは(^◇^)
そういう誤解もまだ持ってましたね。
技士さんが来て、
「どうですか? しっかり食べのほうもちゃんとやってますか~? 体調は良くなりましたか~?」って言うのを聞いて徐々にその誤解は解けましたけどね。
ただ、師長さんも定年退職し、その技士さんも退職された後は、また時間延長が罰則扱いになってしまうんですけどね。
新たに来た主任看護師さんは患者を「ダーリン♡」と呼び、なんか段々と空気感が悪くなってしまいました。
5時間透析を受けてるとベッドの空きの関係で嫌がられる感じになっていきましたね。
なんか、何も言えず、ただ患者さんは黙々と透析を受けなくてはいけないという雰囲気に包まれ、小声で「クソー!」と言ってる患者さんが増えましたな。
最悪の状態でした。
僕は2度目の転院をし、今の病院にやって来ました。
最初に面接に行ったんですが、主治医となる院長先生は美人な上に姉御肌的なシャキシャキした人で、年は僕より下なんですが、自分の姉を見てるような感じで安心できました。
また、透析室室長さんは、これまでの技士さんのイメージとは全く異なる超ベテランさんで、一見して安心感を覚えましたね。
(定年だけが心配ですが)
送迎もしてくれる事となり、1番の心配点だった通院の部分が無くなったおかげで安心して透析に集中できる事になりました。
(遠いので帰りとかに血圧が下がって困る心配)
また、透析システム自体もオンラインもやってるそうですし、患者会会長は6時間透析してるという事で、ある意味、香川では革新的な部類に入ると思います。
非常に恵まれた環境にあると思いますね。
でもですな、普通に行っても片道1時間かかる場所の病院ですから。
送迎ですと寄り道がありますので、往復2時間40分もあります。
まあ、そういう遠方の送迎までしてくれる病院でもあります。
ここで、最初に受けた透析では未知の世界でした。
まず、血液流量が250になってまして、針が太くなってました(16G)
先日の香川県県腎協の総会にて
まあ、2015年の3月に今の病院に転院したんですが、その後は2015年11月にネット環境を自宅に持ちまして、とうとうネットデビューする訳ですな。
で、ブログを書き始め、TwitterやFacebookもやるようになりました。
実はやってないだけで、昨日はインスタも登録してみましたし、ミクシィも以前からアカウントは持ってます。
そうすると多くの透析仲間に出会え、色んな情報を得る機会が増えました。
それは、このブログを読んでいてもよく分かると思います。
僕がこれまでどういう透析環境にいたのか。
血液流量とかKt/Vとか全く気にしてない感じが最初の頃はよく出てたと思いますな~(*'▽')
実は先日の県の総会の時に、座る場所は各病院の患者会の方たちで大体固まって座ってると思います。
で、僕の所の患者会は中央のやや後方に位置して座ってました。
たまたま隣には前にいた2つ目の病院の患者会の方たちが座ってました。
そこの会長さんは僕もよく存じてますので、目が合った際に何度か頭を下げたんですが、シカトされてしまいましたな。
なんじゃ?
まあ、例の事件で全責任を取って転院した経緯があるので、どうせ悪く言われているか(あくまで僕が責任を取る事で全てが丸く収まるという事で責任を取っただけで、僕には責任はほとんどないと思います。)、もしくはこのブログで悪く書いてるのでそれを知っててシカトされたかのどちらかでしょうな。
総会では、長期透析者の表彰があるんですが、今回は40年表彰の方もおられました。
もちろん、長期表彰というのは導入年齢や原因疾患にも左右されるとは思いますが、少なくともその年月を透析生活してきたその忍耐力に捧げたい表彰ですね。
(かなりのいばらの道だったと思います)
まあ、5年ごとの区切りで20年以上の方に表彰されますので、タイミング的な問題もありますんで、受賞者のいない透析病院もあるでしょう。
しかし、僕はよく知っています。
3つの病院を渡り歩いた結果、そういう表彰にほとんど載せる事の出来ない病院があるという事もね。
僕の今通う病院からは3名の受賞者が出ました。
隣にいた前の病院からはゼロでした。
そしてなぜそうなるのかを僕はよく知っています。
恐らく隣に座っていた方たちはかつての僕と同じで、5時間透析は摂生出来ない人への罰則としか認識がないでしょうね。
血液流量はおろか、自分の使ってるダイアライザーの名称すら気にしてないと思います。
隣の会長さんがボソっと
「うちから表彰者出るまでまだだいぶあるなぁ。」と言ってました。
そら、そうだろ。
僕はそう思いましたな。
まあ、田舎の透析病院なので、高齢者が多いという部分もあるんですが、医療者の都合の良いように飼いならされた患者たちばかりの病院であるという事に本人たちは気付いていないようです。
残念ですな。
自分の病気にもっと詳しくなりたいとは思わないんだろうか?
そういう意味では自由に発言できる病院は有難いですな。
自分の病気なのに都合の良い部分だけ知識を与えられ、何の疑問も持たず透析している。
もちろん、その信頼に値する病院だった場合は問題無いんですが、意図的に情報を遮断してるところもあるのですな。
そういうところでは、僕のような存在は悪く言われがちなのでしょう。
やってもいない悪質なデマでも流されてるんでしょうな。
で、このブログも見ないように言われてるんでしょう。
まあ、そんな気がしました。
一方で、ブログ見てます~。
という方もおられました。
嬉しいと同時にそういう人は前向きで、プールに泳ぎに行くんですとか、どこそこに遊びに行ってるんですとか、そういった話をされてました。
なるほど~(*'▽')
かつての僕のようにならぬよう、やはりネットに入って来た人たちは交流も持つべきですな。
そして、互いに苦悩し葛藤しながら、情報交換をして希望の持てる透析生活をしてるんでしょう。
「知らない」という事がこれほど人生に大きな影響を与える事がある。
そういう事を知って欲しいですな。
実際に僕が経験した事です。
透析病院に患者予後の格差が大きいという事実は絶対に否定できませぬよ( `ー´)ノ
*「飼いならされた患者」というのは語弊があり、大きな勘違いも生むと思います。
このテーマでもう少し掘り下げたモノも書く予定でおりますのでよろしくお願いします。
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小林麻央さんの報道を見てて、あらためてこういった形ででも生きて行けてることに幸せを感じます。
人工透析がなければ自分も享年42というところでしょうか…
透析導入当初から仕事しながらだったので、数年前まで病院のお任せ透析でした。
透析のやり方で予後が変わるというのなら勉強しないと損ですよね。
いろんな節制、我慢、心の葛藤を乗り越えて表彰を受けている長期透析患者の方々を、あいつら表彰なんかやってんだよって鼻で笑ってる医療従事者がいると思うとやりきれないです。
足が浮腫むからといって、水分を我慢するばっかりでなく暑い季節になってきたので、以前より少し水分もとるように心がけてます。
難しいところです…
少し浮腫みもましになったような気がします。