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父が脳梗塞で倒れた時に、つくづく思ったんですよね。

救急車が来て、どこの病院に搬送してもらうかの話になりますよね。

今、もう父はこの世にはいませんのでね、今さら言っても仕方ない事なんですが、この時に選択する病院によっては父の脳梗塞を治せたんじゃないか? と、ちょっと思い煩うところがありますな。

遠くの優秀な病院に行くか、近くの病院に行くか。
遠いとその後の見舞いや看病に家族が行きにくくなる。
近いと見舞いや看病は行けますが、病気を根治出来ない可能性が高くなる。

どちらを選ぶか・・・(-_-;)
瞬時に決めないと救急車が出発できませんからな~。

脳梗塞で倒れた時、どこの病院へ運んでもらうか?

うちの家の場合はちょうど高松市と徳島市の間にありますから、どっちを向いて行くのかで変わりますからね。

まあ、結局は地元の脳外科に行った訳ですが、ここで父の脳に起きてた障害は、右脳全体が根元から詰まっている状態でした。

もしかしたらですが、岡山医大くらいのレベルなら軽い障害が起きる程度で快復できたのではないかと思うんです。
瀬戸大橋を越えていかねばなりませんけどね。

そう思ったら、何となくいたたまれなくなりますね。

ん~(-_-;)
その時は突然やって来ますのでね、瞬時に正しい判断をするというのは難しいですな。

脳梗塞ですと、初期の治療がモノを言いますからな。
後から他の病院に移って治療しても、時間が経ちすぎてると処置が限られてきますのでね。

そういった難しい問題もあります。
今年は2月に小学校の同級生がやはり脳梗塞で亡くなりました。
家もそう離れていません。

こういうのは、普段からどういう選択をすれば良いか、家族で話し合っておくのもいいですね。
まあ、「縁起が悪い」として話さない事も多いですからな。

僕も、透析を受けてますのでね、突然脳梗塞になる可能性はある訳ですよ。
その時に、どこの病院に行くのか? はその後を大きく変えてしまう可能性もありますね。

例えば、こういう時はこうして欲しいという事なんですが、仮に心臓で倒れたらここ、脳で倒れたらここ、のような方針を打ち出しておくと後々便利かもしれません。

父が倒れた時などは慌てまくっててまともな思考が出来ませんでしたからね。

とにかく病院へ! っていう感じになってしまい、近くの病院に行ってしまいました。
それが悪いという事でもないんですが、色々考えを及ぼすと「他にも手があったのではないか?」となってしまいます。

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突然すぎて判断に困らないように

父が倒れてた時は、父の意識はありましたが、顔が歪んでましたので、1番最初に脳梗塞を疑ったのですな。
手や足を凄かすように言うと、片側の動きが極端に悪かったので、「脳梗塞の可能性が大!」と見て即座に救急車を呼びました。

田舎の山の中なので、救急車が迷ったらイケナイと思い、表に出て救急車を待ちました。

僕としても、別段パニックになっていた訳では無かったのですが、やはり「とにかく病院へ!」っていう気持ちになってしまいますな。
一刻も早くという思いが先立ちますので、(脳梗塞は初期治療が重要というのを知っているだけに)そうなりました。

母が後に不整脈で倒れた時は、父で1度経験してますので、不整脈が出てる事に気付いた時点で、タクシーを呼び、母の主治医と連絡を取って病院に連れて行きました。

息子(僕)が病気なのでね。
病気の種類に詳しかったというのも良かったとは思うんですよね。

母は「頭がふわっとする」というのをしきりに言ってましたので、血圧を計ってみると、ハートマークの心拍リズムがおかしくなってる事に気付いたのですな。
それで脈をとってみると、明らかに不整脈でした。

直ちにタクシーで病院に行き、事前連絡してあったのでスグ診察になり、点滴などの処置で日帰りできました。
ちょうどね、主治医が手術中というのもあって、しっかり他の先生たちが連携してくれましたな。

緊急性がある時は事前連絡も大事かも知れませんね。

生と死 人の尊厳 自分はどうしたいか

父は死んでしまいましたが、それは家族から見れば生きてて欲しかったと思うから、僕ももっと手があったのでは? と考えてしまうんですよね。
父はどうしたかったのか?
どこかで、「これは治らない」と観念した時があったと思うんですけどね。

そりゃ、誰だって元気に生きられるならそうしたい。
だけど、病は待ってくれない。
ドンドン自分自身を歪めていく。

その歯がゆさとの戦いですよね。

人は生き続ける事が出来ませんからな。
どこかで1回死ななければならない。
この死に方がどうなのか? っていうのを父がどう思うにしても、誤嚥多発で絶飲絶食、肺炎、体はほとんど動かない。
こんな尊厳もクソも無い状態で、「生」には執着できなくなるのでは? と思いましたね。

父はよくしゃべる人でしたが、完全に無口になってしまってました。

「生」に執着できない状態になる。
ん~(-_-;)
僕は父に死に方を見せてもらった気もしますな。

逆に、「死」があるから「生」も輝く訳でして。
生きてるうちに出来る事をやっておきたいのでしょうな。

今回は父の事を引き合いに出しましたが、透析環境にいると、死の現場はいやおうなしに見る事になります。
そして、そのたびに思うのですよね。
自分はどうありたいか、そしてどう死んでいくか。

僕は自分らしい、死に方をしたいと思うんですが、自分らしい死に方って・・・?
結局答えは一切見つからないまま、ある時死んでいくのでしょうな。

まあ、僕の場合ですと、心臓にステントが入ってる状態ですからな。
心疾患で死ぬ可能性が今の所最も高いと思われますが、こればっかりは分かりませんし。

姉には、「もういかん」となったら、苦痛を軽減する療法をやるように指示してくれと言ってますけどね。
最後の最後で痛いばっかりになるのは嫌なのでね。
そこだけははっきりしてますが、急激に終わる場合もあるので、何とも言えませんし。

父もあっけなかったですからな。
亡くなった日の昼は母が見に行ってまして、普通にしてたと言ってましたからね。
夜になって、急変した訳です。

急変の報を受け、病院へ向かいましたが、すでに帰らぬ人となっておりました。

安らかな寝顔だったんですよね。
「やっと、終わってくれた」という感じにも見えましたし、一方で、僕が死後の世界を解説した事(あくまで仏教上の死後の世界観)があったので、「その通りだな」と言ってるようにも見えました。

「あら、死んでしもた。」という感じにも見えました。

とりあえず、苦しんでる顔でなくて良かったですが。

死に方は選べないかも知れない

ニコラスケイジの映画であったセリフなんですが、救命救急士の役で、
「人は死を受け入れた時に死ぬ、病院へ搬送しててもギリギリ生き延びる奴は死を受け入れない奴だ。」というのがありましたな。

そうかも知れませんな。

死ななきゃ、持ちなおせる病もありますんでね。

僕にしても呼吸困難で死にかかったり、心臓カテーテルで心停止したり、色んな経験がありますが、まだ死ぬ時ではなかったのでしょう。
まあ、まだまだ人としての修行が足りてませんのでね、そう簡単には死なないとタカをくくっておりますが。

なんか重いテーマについて書いてみましたが、どっちにしても最良はどれか? と選んでる心の余裕はなくなるでしょうな。
粘ってれば、そのうちコロっと逝くだろうと思って、あまり気にしない方が良いのかも知れませんけどね。

よくよく考えてみたら、最後はどうなるかは分からないのでね、結局は思い通りの死に方は出来ないんだろうと思い込んでしまいますな。

そう思ったら、自分の死に方なんぞ、天が決めれば良い事、そう思えても来ますよね。
自分じゃどうにもならん事に落ち込むよりは、今生きてる自分をどうしたいか考える方が建設的な感じもします。

とりあえず、何かあった時の搬送病院と、いよいよの時のモルヒネだけ頼んどく事にしましょう。


倒れた時が日曜だったら・・・とかまた色々考えてしまいそうですが・・・。


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