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僕も透析を導入してから、最初の数年は心の持って生きように苦労しました。
導入前に、皆さんも主治医から透析導入の宣告をされたと思います。
導入前に、皆さんも主治医から透析導入の宣告をされたと思います。
いきなり透析って言われてもねえ。
僕は最初に主治医に
「いきなり透析と言われても、費用とかも分からないしどう受け止めていいのか分からないので、どう答えて良いのか分かりません!」と言いました。
すると、その後ソーシャルワーカーさんとの面談で費用面や手続きの話、次に栄養士さんが来ての栄養指導、更にこのブログで何度も登場しているスーパー看護師のOさんからの透析指導を受け、今に至ります。
とても精神面のケアを多くしてもらったように思います。
1度、透析をやめようとした時も、ある看護婦さんが必至で説得してくれたおかげで、今こうしてブログを書いています。
僕は子供の頃から作詞家を目指すような人間なので、精神が繊細なんでしょうか?
葛藤は多くありました。
僕はこのブログで、透析は延命治療と位置付けて書いております。
これには当然、賛否あろうかと思いますが、結局はやめれば10日のうちに死ぬ事になる訳ですから、やっぱり延命治療としか形容できません。
知り合いの中には、透析導入を拒否し、1年近く尿毒症で苦しみ、最後は痙攣し泡を吹いて死んでいった人もいます。
あの人がなぜ「透析」を避けたのか・・・。
今でも僕の心に深く傷として残っています。
僕は32歳の時にネフローゼ症候群で入院した際、同じ地域に住む入院患者さんがいて、同じ先生に受診しているばかりか、1週違いで「腎生検」(腎臓の組織を採取する検査)をした事もあり、仲良くなりました。
僕が先に退院してしまったので、その後のその方がどうなったのかは知りませんでした。
13年の月日が流れ45歳の時、僕が透析施設を地元病院に転院すると、その方が透析をされていました。
その後のその方は、ステロイド治療をずっと続けていたそうです。
そしてあの「腎生検」から12年後にとうとう透析導入になりました。
おおお!久しぶりやなあ(*'▽')
ああ!二人そろって透析になってしもたんやなあ((´∀`))ケラケラ
当時僕はお世話になっていた先輩患者さんが次々と亡くなってしまったため、少し寂しい時期だったんですが、またかつての同志と同じ施設になり、元気が取り戻せました。
何気にこういう入院仲間や患者仲間は数多くいますので、行くとこ行くとこで出会えますね。
ネット上でも、透析患者さんたちの数々のコミュニティもありますし。
まあ、僕は個性が強すぎるのでコミュニティリーダーには向いていないのですが、透析ブログ第一人者のサトルさんのとこでは、見事なくらいのコミュニティが出来上がってる感じですね。
若い透析患者さんは少ないので、全国的な方向に目を向けるべきかも知れません。
意外と多くの若い透析患者さんがいてΣ(・□・;)ます。
僕がこのブログを立ち上げた原点は、透析患者さんたちが厳しい環境の中、心を病んでいく姿をたくさん見てきて、僕も一時は精神的に厳しかった時期もあったため、こういう事ではイカン!という思いがあって、書き始めました。
このブログにコメントをくれる透析患者さんたちも、その様々の透析環境の中、歯を食いしばって透析に立ち向かっている人も多いです。
皆さんよく頑張っていると思います。
ごくろうさまです。
「透析」は透析になった人にしか分からない・・・とよく言われます。
ホントにそうですね。
まあ、こちらとて人の気持ちが100%分かるなんて事はありませんから、仕方ありません。
透析という微妙な立場は、永久に分かってもらえないでしょうね。
だからこそ、透析患者さん同士のコミュニティは大切だと思います。
透析患者は変わり者が多いなどと揶揄される時もありますが、
おいおい!
透析患者じゃなくたって、変わり者は多いぞ!って思うし。
20代のうちは僕もいっぱしの社会人でしたから、その中で色んな人がいましたよ。
このブログでは、数々のテーマを持って書いています。
「人工透析の怖さを感じる日々」
「闘う人工透析患者になろう!」
「そんなに前向きで透析できる訳ない!」
「人工透析なんて楽勝だ!」
などなど。
コレ見たら、透析が大変なのか楽勝なのかよく分からないと思いますが、
僕は「現実を知り」、「対策を練り」、「実行する」という事を大切にしていますので、すべて避けられないテーマだと思っています。
透析の負の部分も知り、時には楽勝だ!と強がり、そうやって対応していき、どんな困難にも心が動じなくなれるように心を磨いていかないと、この人工透析には立ち向かえないと思っています。
もちろん、最初っからそういう強さを持っていれば、何てことありませんが、何気に透析ってやつはしぶとくてやっつけられないものですね。
次々と合併症は襲ってくるし、冬場は手足の末梢神経がおかしくなっているので、手足が異常に冷えるし、夏場は暑くて血圧が下がりやすくなるし。
年々ひどくなってる気がします。
だけど、そんな中、皆さん耐えていますからねえ。
他の頑張ってる人を見れば、僕などはまだまだです。
前に、透析患者には「やまない雨はない」ではなく、「やまない雨もあります。」と書きました。
よくコメントをくれる、そ~めんさんが、X Japanの「Endless Rain」を思い出すと書いてくれました。
「Endless Rain」いいですね。
あの切ないメロディーが、涙を誘います。
やまない雨には、傘を差せばいいんです!
さて、僕らは傘をさす生き方を模索していきましょうか(*'▽')
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僕は最初に主治医に
「いきなり透析と言われても、費用とかも分からないしどう受け止めていいのか分からないので、どう答えて良いのか分かりません!」と言いました。
すると、その後ソーシャルワーカーさんとの面談で費用面や手続きの話、次に栄養士さんが来ての栄養指導、更にこのブログで何度も登場しているスーパー看護師のOさんからの透析指導を受け、今に至ります。
とても精神面のケアを多くしてもらったように思います。
1度、透析をやめようとした時も、ある看護婦さんが必至で説得してくれたおかげで、今こうしてブログを書いています。
僕は子供の頃から作詞家を目指すような人間なので、精神が繊細なんでしょうか?
葛藤は多くありました。
僕はこのブログで、透析は延命治療と位置付けて書いております。
これには当然、賛否あろうかと思いますが、結局はやめれば10日のうちに死ぬ事になる訳ですから、やっぱり延命治療としか形容できません。
知り合いの中には、透析導入を拒否し、1年近く尿毒症で苦しみ、最後は痙攣し泡を吹いて死んでいった人もいます。
あの人がなぜ「透析」を避けたのか・・・。
今でも僕の心に深く傷として残っています。
僕は32歳の時にネフローゼ症候群で入院した際、同じ地域に住む入院患者さんがいて、同じ先生に受診しているばかりか、1週違いで「腎生検」(腎臓の組織を採取する検査)をした事もあり、仲良くなりました。
僕が先に退院してしまったので、その後のその方がどうなったのかは知りませんでした。
13年の月日が流れ45歳の時、僕が透析施設を地元病院に転院すると、その方が透析をされていました。
その後のその方は、ステロイド治療をずっと続けていたそうです。
そしてあの「腎生検」から12年後にとうとう透析導入になりました。
おおお!久しぶりやなあ(*'▽')
ああ!二人そろって透析になってしもたんやなあ((´∀`))ケラケラ
当時僕はお世話になっていた先輩患者さんが次々と亡くなってしまったため、少し寂しい時期だったんですが、またかつての同志と同じ施設になり、元気が取り戻せました。
何気にこういう入院仲間や患者仲間は数多くいますので、行くとこ行くとこで出会えますね。
ネット上でも、透析患者さんたちの数々のコミュニティもありますし。
まあ、僕は個性が強すぎるのでコミュニティリーダーには向いていないのですが、透析ブログ第一人者のサトルさんのとこでは、見事なくらいのコミュニティが出来上がってる感じですね。
若い透析患者さんは少ないので、全国的な方向に目を向けるべきかも知れません。
意外と多くの若い透析患者さんがいてΣ(・□・;)ます。
僕がこのブログを立ち上げた原点は、透析患者さんたちが厳しい環境の中、心を病んでいく姿をたくさん見てきて、僕も一時は精神的に厳しかった時期もあったため、こういう事ではイカン!という思いがあって、書き始めました。
このブログにコメントをくれる透析患者さんたちも、その様々の透析環境の中、歯を食いしばって透析に立ち向かっている人も多いです。
皆さんよく頑張っていると思います。
ごくろうさまです。
「透析」は透析になった人にしか分からない・・・とよく言われます。
ホントにそうですね。
まあ、こちらとて人の気持ちが100%分かるなんて事はありませんから、仕方ありません。
透析という微妙な立場は、永久に分かってもらえないでしょうね。
だからこそ、透析患者さん同士のコミュニティは大切だと思います。
透析患者は変わり者が多いなどと揶揄される時もありますが、
おいおい!
透析患者じゃなくたって、変わり者は多いぞ!って思うし。
20代のうちは僕もいっぱしの社会人でしたから、その中で色んな人がいましたよ。
このブログでは、数々のテーマを持って書いています。
「人工透析の怖さを感じる日々」
「闘う人工透析患者になろう!」
「そんなに前向きで透析できる訳ない!」
「人工透析なんて楽勝だ!」
などなど。
コレ見たら、透析が大変なのか楽勝なのかよく分からないと思いますが、
僕は「現実を知り」、「対策を練り」、「実行する」という事を大切にしていますので、すべて避けられないテーマだと思っています。
透析の負の部分も知り、時には楽勝だ!と強がり、そうやって対応していき、どんな困難にも心が動じなくなれるように心を磨いていかないと、この人工透析には立ち向かえないと思っています。
もちろん、最初っからそういう強さを持っていれば、何てことありませんが、何気に透析ってやつはしぶとくてやっつけられないものですね。
次々と合併症は襲ってくるし、冬場は手足の末梢神経がおかしくなっているので、手足が異常に冷えるし、夏場は暑くて血圧が下がりやすくなるし。
年々ひどくなってる気がします。
だけど、そんな中、皆さん耐えていますからねえ。
他の頑張ってる人を見れば、僕などはまだまだです。
前に、透析患者には「やまない雨はない」ではなく、「やまない雨もあります。」と書きました。
よくコメントをくれる、そ~めんさんが、X Japanの「Endless Rain」を思い出すと書いてくれました。
「Endless Rain」いいですね。
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「トシヒーローの透析思考」を読み始めて泣きそうになりました。(/ _ ; )それと、ぉ.ぉ〜記事になってる-'(*゚▽゚*)'取り上げてくださってありがとうございます☆
ぇぇっ!?やめようとしたって…((((;゚Д゚)))))))相当しんどかったんじゃ? gkbr…
バックれはないけど、歩けなくなって大分遅れた時には 、とても恐ろしかった。トシPさんの知り合いの方、よく1年も持ちましたね。その方の苦しみは如何許りだったのかと思うと、居た堪れない。>_<
「透析に対する考え方」…なぁ〜んだ自分が昔からやってることと同じじゃんって今やっと気付いた。治らないから対処療法だって言う視点で。透析しかないなら、せめて病院用のパジャマに凝ってみよう♪と思ってたけど、毛玉がいっぱい出来たら部屋着に成り下がった。^^;今着てるャッは穴が開いてたのにやっと気付いてハッとしました…Σ(・□・;)!
只今 室温21.3°C。今日は1日暑い日だったなぁ〜。シャツタイプのパジャマってあんまりないんだけど、暖かくなってきたことだし、今度探しに行こうかな-。(^。^)