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以前、このブログの進むべき道を相談した有識者との会話の中で、
「トシヒーローさんは以前、人は甘えても良いんだ。」という事に触れてました。
その真意はなんでしょうか?
というのを聞かれました。

おお!
そこ来ますか(-_-;)

単純にまず結論から申しましょうか。
「甘えるな!」という言葉は自分の辞書から抹消したほうが賢い

単純に考えてみて下さい。

人の「甘え」を許容できる人間と、
人の「甘え」を許容できない人間、
どっちが立派ですか?

という事です。

まあ、透析環境にいますと、たまにですが「甘えるな!」的言葉を発してる人を見かける事はありますね。
人の甘えを許容できない人間であるという事を自ら露呈してしまうのはいかがなものでしょうか?

確かにね、自分で出来る事も人に依存してしまうのは「甘え」となってしまいますね。
なので、自分で出来る事は自分でするというのは正しいでしょう。

しかし、そういった人の弱さを許容できない人間というのもいかがなものでしょうね。
それも人としてどうか?

僕にはそれは単なる〇〇野郎にしか見えませんね。

自分でそれを宣伝する必要もないでしょうな。
「甘えるな!」という言葉は自分の辞書から外すべき言葉ですね。
そんな言語は横柄極まりなく、自分自身を貶める言葉です。

信頼に足る人物に見えませんので、気軽に使わぬ方が身のためです。

もし、今まで気軽に考えずに使っていた人がいるなら、今後はやめておいた方が賢明です。

しかし、この部分では「人は甘えても良い」という事の真意とはなりません。
なぜ甘えても良いのか?
といえば、人は誰もが甘えまくっているからです。
甘えの無い人間などは存在していません。

例えば、僕らは人工透析を受けています。
透析に依存しなければ生きていけません。
つまり、透析に対して甘えていますね。

例えば外食に行くとします。
レストランでステーキを食べるとします。
代価を払う代わりに作ってもらってますね。
レストランのシェフに甘えてる事になります。
シェフに教わりながら自分で作ろうと思えば作れますよね。
そのステーキの牛は?
自分でやろうと思えば食牛を育成するのだって出来るはずです。
でも、金払って食べるだけする。
思いっきり世の中のシステムに甘え切ってますね。

何でもこうやって、深く物事を考えていけば、誰もが色んな事に甘えて生きています。
社会に依存、地球環境に依存して生きているのです。
なのに、人に「甘えるな!」というのは、自分の事を一切顧みない、自分が見えていない人間であるとなりますね。

僕にはそういう風にしか見えない訳です。
人が生きていれば、かなり甘えてる部分はありますよ。
それに気づいていない発言ですな。

それでは、人のちょっとした「甘え」すら許容できない、アリンコ並みにちっちゃい心の人間だ!と自分で言ってしまう事になりますよね。

なんかね、「甘えるな!」という言葉を発する人って、「錦の御旗」を振ったように思ってるかもしれませんが、まず、自分に一切甘えがない訳などないのに、人に言える訳ですからな。
その時点で相当カッコ悪いですよ。

これを言っていいのは親が自分の子供を教育する時だけでOKです。
他人に向けて言う言葉では無いのですな。

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まずは「人の甘え」を許容できる自分になる

そういう事を踏まえた上で、ではなぜ人は甘えても良いのでしょうか?

と言いますのも、自分1人でやれることは限界があります。
自分1人では出来ない事でも、他人の力を借りる事で出来る事は数万倍に膨れ上がります。
「甘えるな!」を代名詞にしてしまうと、おのずと出来る事に制限がついてしまいますね。

そもそも人間は力を合わせて多くを生み出してきた種族なのです。

例えば、医師の世界でも医師と看護師というのがワンセットみたいなもんですよね。
役割を分担する事でより時短と回数を増やす事が出来ます。
自分のやりやすいように分担する事で流れがスムーズになります。

こういう分担作業は常日頃から社会では当たり前に存在します。

全部自分でやる、一切人に甘えないというのであれば、家庭でもお父さんもお母さんも子供もじいちゃんもばあちゃんも、それぞれ自分の食べるモノは自分で作り、自分に必要な買い物は自分で買う、そのお金は自分で稼ぐ、同じ家に住みながら、完全に独立採算しなければ甘えていないという事にはなりませんよね。
そんな事、普通やりません。(それに近い事をやってるお父さんはたまに見かけますが(-_-;))

それぞれ人と分担し、生活がスムーズになるようにやっていくというのは、人間の知恵ですな。

そういう意味で、まずは自分自身が「人の甘え」を許容できるようになる方が先なのです。

誰しもがそういった人の甘えを許容し、しかも自分も甘えながら生きていく。
こうする事で社会の全員が意味のある存在になるという事です。

「甘え」を許さないという、心の狭い世の中では困る事がたくさん出てきます。

例えば、生活保護なども、病気やケガなど困った事が起きて収入を得る道が絶たれてしまった人は受けるべきです。
しかし、甘えを許さない自分に厳しい人は、生活保護を受けたがりません。
本来、もっとも生活保護が必要な人間に保護が行き渡らないというのはどうなんでしょう。

「甘えない!」という代名詞が世に強すぎるとそういった弊害も出てしまいます。

そういった本当に困ってる人は、収入がありませんが、生活保護で助ける事でお金を得て消費しますので、社会ではその分のお金を負担する事になってしまいますが、しかし、ほおっておくとその人は消費出来ず世の中に還元できる事が一切なくなります。

日本は経済大国と言われますが、動いていないお金が(預貯金など)とても多い国です。
それよりも目の前の食事代を払ってくれる人がいたほうが消費が増えますので日本経済のためになります。

損失もあるものの、それは消費になる訳ですから、本当に困っている人は生活保護を受けていいんです。
お金がプールされ動かないままよりはナンボか良い訳です。

「甘えてはいけない!」という観念のおかげで、進歩が遅れる事も多いのですな。

何でも人の協力を得、アドバイスをもらい、より効率よくやったほうが良いと思いませんか?

確かに、社会の中で「甘えすぎてる」とイライラしてしまいそうな人を見かける事もよくあります。
しかし、そういった人は社会の中で埋没し、全く人から相手にされなくなるでしょう。
物事には限度がありますから。

だからイチイチ「甘えるな!」という高圧的なモノは言わなくて良いのですな。

まずはそっちよりも、自分自身が「人の甘え」を許容できる人間になる方が先です。
そういう心の大きさの無い社会ではギスギスするばかり。
何も楽しめない世の中になりますよ。

「甘えない」という事を人に課さない心の大きさ。
自分自身に課すのいくらでも結構ですが、人に課す時点で自分自身がちっぽけになってしまいますね。

こういった事がこれから人間の進むべきテーマになると僕は考えております。



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