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十人十色と言いますが、ホントに人は人それぞれです。
僕ら透析患者も長く病院に出入りしていると、当然たくさんの人に出会う訳で・・・。
僕が最近お世話になっているある透析グループの方が、こんな書き込みをしてました。

「人間的に尊敬できない院長・婦長のもとで、自分の命を守ってます。」

勝手に使ってすいません。

この方とは最近ちょっと競馬の話題で盛り上がったんですが、こんな状況で透析されているんですね。

住んでる地域が違うので、うちの病院を紹介できないのが残念です。
うちならね。
穿刺の神様と異名をとる室長はいるし、婦長は天然が入ったかわいらしい人ですのでね。
院長も美人院長で、ONとOFFで人が変わる。
ONの時はすごく頼れて、OFFではホントにかわいい女性です。
副師長も眼鏡がキュートで優しいですし。
イケメン、美人揃いの病院です。
ジュンスよりカッコいい子もいるし、北川景子並みの子もいますし。

このエライ差はなんなんだ???

集まるトコには集まるんですよね。
良い子たちが!

スタッフ同士も僕が見たところ仲が良さそうですし、飲み会とかも頻繁にあるみたいです。
スタッフ同士の夫婦もいるらしいですけど、透析スタッフと病棟看護師だそうです。

ぬぬぬ!
ここまで良い病院になってるのは、前院長と現美人院長のおかげでしょうか?

「人間的に尊敬できない院長・婦長のもとで、自分の命を守ってます。」

こういう施設で透析されている方には、信じられない話だと思います。

やっぱり院長次第ですね。
院長のカラーに染まれる人が生き残る。
ダメ施設は院長がダメ人物という事なのかも知れません。

話は変わりますが、
PCでご覧の皆さまには見られると思いますが、上のタイトルの写真、3つ並んだ向かって左側の山が虎丸山(とらまるやま)です。

戦国時代に詳しい人は知っているかもしれません。
ここには昔山城があり、長曾我部元親によって滅ぼされました。
讃岐の領主は十河家で、直ちに同盟軍の羽柴秀吉の配下軍3000が近畿から淡路経由で船でやってきました。
それをいち早く察知した長曾我部軍は、羽柴配下軍が上陸前に総攻撃をかけ圧勝。
引田沖で讃岐軍の名将:森権平が孤立する中、孤軍奮闘で戦いましたが敗れました。
生き残った武将たちは虎丸城に籠城。
最後は総突撃にて討ち死にしたそうです。
丁度、秀吉が賤ヶ岳で柴田勝家と戦っていた最中の話となります。

長曾我部家はあと少しで四国統一まで行きますが、
後に、秀吉は弟:小一郎秀長を総大将に毛利軍と共に四国に上陸。
最初こそ長曾我部軍が勝ちますが、戦力差が大きく長曾我部元親が降伏し秀吉の天下取りが終盤へ向かう事になりました。

この虎丸城で戦った有志の名前が一部の地域で地名となってます。
末国(すえくに)、近房(ちかふさ)、行成(ゆきなり)・・・などなど。

僕も何度か山に登りましたが、城跡やくるわの跡が少しだけ残っています。
この地域ではこの虎丸がシンボルになっています。

虎丸山こそ強い心の象徴なのです。
総勢500にも満たない小勢が1万5000の長曾我部軍に総突撃をかけた訳ですからね。

バッタバッタと討ち死にしていく仲間たち、大勢の敵に囲まれる中、どんな気持ちで戦ったんでしょう。
この山を見て、僕は強い心をもらっているのですね。


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