スポンサーリンク
僕がネフローゼ症候群になった時の話なんですけどね。

透析導入が2006年だったので、2000年頃の話になると思うんですが。

当時32歳でした。
東京から帰って、なんとか28歳の時の意識不明になったところからは脱してたんですが、その時の4月頃から咳が出るようになってたんですね。

実家に用があって帰った時に、父から
「変な咳しよるぞ。」と言われました。

腎不全発覚

これが6月、7月頃になると悪化しまして。
咳き込んで呼吸が出来なくなるというのが相次いでいました。

これは後から考えると、腎不全によるものではないかと考えられますね。
腎臓の働きが弱くなり、体に水が溜まって、それが肺に。
まあ、目に見えるほどの異変はしばらくは感じなかったのですが、呼吸が苦しくなって、パニック障害などが出てたん出はないかと推察は出来ますね。

7月になって、体の一部だけが汗をかかないという症状が出てました。
4月頃からしんどくて、6月には仕事をやめてしまい、そこからは咳き込む毎日でした。

7月、四国では十分暑い日が続いておりました。
外に自転車で買い物に行った帰りに、首から下は滴るほどの汗をかいているのに、首から上は乾燥してる自分の状態に気付きました。

ん?
こりゃ、脳が腐るんじゃないかと、慌てて家に(当時借りていたアパート)戻り、シャワーを浴びて頭を冷やしました。

そういう事があったので、夜に9時とか10時くらいの時間にコンビニに行ってみると、今度は左腕だけが熱く感じたんですが、やはり左腕だけ汗をかかず乾燥してました。

まあ、当時は病気の知識なんてありませんし、ましてや腎不全でそうなってるとは思いませんよね。

いよいよ、呼吸困難とかが顕著になってきまして、何度も死にかけたので、健康保険を国民保険に取り直す手続き(仕事を辞めた時に社会保険から国民保険への手続きをしてなかった)をして、近くの大きな病院に行きました。

何科を受けて良いのか分からなかったので、とりあえず内科を受診しました。

そこで尿検査と血液検査をして、真っ先に疑われたのが「肝炎」でした。
が、エコー検査で肝炎はなく、尿検査でネフローゼ症候群が発覚。

即、入院となりました。

更に高血圧も発覚。
これは最初、血圧が高すぎてちゃんとした血圧が計れてなかったものと思いますね。
この頃、自分の血圧が240-145というとんでもない高血圧になってる事は知ってましたが、なぜか病院で看護師さんの測定では最初170とかになってたんですよね。(看護師さんが聴診器で計るヤツで計測)

恐らく、看護師さんは僕の血圧がそんな高い状態なのを知らずにポンプを240まで回さなかったので、正確なデータが取れてなかったのだと思いますな。

実際、入院後に高血圧が発覚し、降圧剤が出るようになりました。

まあ、先にラシックス(尿を出す薬)の血液注射治療が始まり、腎生検する事が決まりました。

DSCN2270


辛い腎不全保存期

ラシックスは面白いですよね~(*'▽')
注射して20分後くらいに、一気におしっこマケマケの状態になりますよ~。
トイレに駆け込んで用をすまして、病室に戻ると、5分もしない内にまたトイレへ。
これを3~4回繰り返しますね。
ものの30分くらいの間に3~4回はトイレへ駆け込みます(^◇^)

それだけ、体に水が溜まってるという事なんでしょうな。

アダラートなどの降圧剤が4種出てました。
一つはとんぷくだったと思います。
舌の下に入れて下さい、とかの面倒な指示がありましたね。

それで、腎生検後、結果も出て、血圧も180くらいにはなってました。

1か月半くらい入院して、退院し、普段の生活に戻るんですが、やはり腎不全は時々症状が出て、入退院を繰り返す事になりました。
結局ねえ、なかなか血圧が160以下になる事がなかったです。

降圧剤がキツ過ぎてフラフラするので、降圧剤を減らす(または軽いヤツに変える)とまた血圧が上がる。
ラシックスも錠剤に変わってましたが、飲むとトイレに駆け込む事になるので、営業の仕事などで物凄く差し支えていましたな。
飲むに飲めない(-_-;)

32歳以降は、もう入退院の繰り返しでした。

散々な目に遭った感じですな。
仕事が軌道に乗り始めると入院ですから。

「そんなに体が弱いんじゃ無理」だとクビになった事もありました。

職を転々としながら、月1回の通院はしてましたが、薬代だけで月8000円くらいかかってましたんで、仕事出来なければ医者代が払えないんですよね。

病院に次回払うからと、払わず帰った事もあります。

入院でも、当時はネフローゼでも障害者になれる事なんて知りませんからね。
入院代は1か月で20~25万円くらい取られますよ。
貯金なんかはあっという間になくなりましたな。

一応、生命保険には加入してまして、1日5000円分はもらえましたけども。

透析導入目前

ただね、当時の医師に腎生検後、
「どう頑張っても50歳までには透析になりますから。」とクギはさされてました。

栄養士さんの食事指導も受けましたし、そういうレクチャーはあったので、ある程度は守ってました。

しかしね、僕自身に知識がなく、自分が腎不全保存期である事の重大性に気付いていなかったですな。

というのも、主治医がコロコロ変わるんで、(4~5人変わりました)そういう諸注意がなく、ちょっと診察し薬だけ出される感じでした。

まあ、38で透析になって、初めて32歳から38歳までの6年間が僕の腎不全保存期だったと知る結果ですな~(-_-;)
なんちゅう呑気な(*´Д`)

後から分かっても、もうどうしようもありませんから。
やはり最後はビニール工場のキツイ仕事を3交代制でやってまして、クレアチニンがドンドン高くなってしまったようです。

ボロボロになって、
「よく生きとった!」と医師に言われましたな。
その時のクレアチニンは12.5くらいだったと思います。

ヘタレからの脱出

まあ、2006年7月18日、ついに透析が始まりました。

最初2回は気分が悪くなったり、足が攣ったりしましたんで3時間で終了しましたが、3回目からは4時間(実際は3時間50数分)となったのですな。

4時間になって、
「こりゃ、やっていけないかも・・・。」と感じました。

ん~(-_-;)

この思いがヘタレへと繋がっていきます。
当時は高松市木太町にアパートを借りてまして(香川では街中です)、ハローワークに何度か足を運び就職を模索したんですが、透析患者の就職の厳しさをダイレクトに受けましてね。
当時の病院には夜間透析などはありませんでしたからな。
それがネックになってました。

それで仕事も決まらないので、次第にやる気を失っていったのですな。

まあ、僕の場合は、自分自身が抱いてる透析に対するイメージがなかなか改善できなかったのがヘタレの原因になってたと思いますね。

確かに、保存期から比べると体調は格段に良くなってたんですが、やはり、血圧低下なども起きてましたし。

まさか、10年経ってもこんなに元気でいられるとは夢にも思いませんでした。
透析7年目に、心筋症と腎臓がん、十二指腸ポリープが発覚して、僕もこれまでだな、という思いが更に強くなりましたね。

ところがですな、透析10年目にネット世界に入って来て、多くの仲間と出会いました。
香川なんでね、周りのほとんどの透析者は年配なんですな~。

しかし、ネット世界には僕より若い子もいるし、僕より遥かに長い年月透析を受けていても、精力的に仕事や社会貢献をしてる集団がありました。

これがね、気持ちの前向きさに繋がっていきましたね。

とうとう、僕も香川を飛び出して、東京までバンザイさんやオルカさんに会いたい一心で向かいましたよ。
友達も増え、信頼できる兄貴分も増え、とても気持ちが変わりましたな。

みんな元気なんですよね。
透析を受けてるのに。
(多分、そういう風に見せてる部分も大きいかと、その心意気がカッコいいと思いました。)

朝焼けの曇り空から、一筋の光がさすように、僕の気持ちが大きく変わっていった訳ですな(*'▽')



↓↓↓恐れ入りますがお帰り前に応援ポチをよろしくお願い申し上げます。

↑↑↑面白ブログ満載のランキングが見れますが同時に1票がはいります(*'▽')


        スポンサーリンク