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パソコン教室の営業では、最初、初めて営業の仕事に就いた時以来の厳しさがありました。
当時35歳くらいだったのですが、なんか物覚えが20代の頃のようにいかず、またこの頃から「無呼吸症候群」があったらしく、突然睡魔に襲われる・・・というアクシデントもありました。
なので、研修中にも思うようにいかず、まあ何とか過去の経験がありましたから、乗り越えはしましたが、あまりうまくいかない研修でした。

本社での2週間に及ぶ研修が終わると、配属となった支店で営業の日々が始まりました。
これまでは、外に行っての営業でした。
今回は、パソコン教室内での営業となります。

興味を持って教室に来るお客さんに営業する訳ですから、これまでのように押しかけて行っての営業より、簡単だと思っていたら、実はそうでもありません。

興味を持って来られるお客さんの多くは、パンフレットでももらっとこう!みたいな軽い気持ちで来られるので、それに営業をかけると、当然引かれます。

訪問する営業の場合は、事前にアポイントを取ってますから、相手もそれなりの心の準備というものがあります。
しかし、教室に来るお客さんの場合、営業されるとは思ってないようで、そこが最初のネックになりました。

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今まで、どこに行っても、それなりに成功はしてきただけに、この経験は鼻っ柱を折られました。
しかも、このパソコン教室、授業料が高い割に社員の給料は大した事なく、歩合もこれまでの最低。
つまり、TOPがぼろ儲けしてるだけの会社でしたね。

そんな中、僕もこのままで終わりたくありませんから、それなりの努力はします。
そうすると、次第に制約も取れ始めてきました。

本社の部長も、少し信頼してくれるようになり始めたんですけどね。
本社の部長は、まれにみる営業の天才でした。
営業を全て公式化してましたね。

一方、ここには女性の専務がいたんですが、非常に僕とそりが合わなくて、それも苦労しました。
制約が取れなかった時に限って電話してきてはボロクソ、クソミソに一方的に言って切ります。
非常に全社員から人望の無い専務でした。

「社長の愛人では?」とか、揶揄されていたらしいです。

ある時、この専務から電話がかかり、「次、取れなかったらどうするんだ!」と聞かれました。
いや、その前は5連続で制約してるにも関わらずです。

あ、こら、もう、ソリが合わないのでやめさせたいのか?と思い、「じゃあ、次取れなかったら辞めます!」とタンカをきってしまいました。

で、見事に取れなくて、退職願いを書きました。

久々に屈辱でしたね。
いや、専務がどうの・・・ではなく、売り上げが西日本ブロックでも中位くらいまでしかいけないまま辞めなきゃならなかったですから。

いわゆる負けたままでした。
なんか自分がドンドン、クソ野郎になってきていたかも知れませんし、体の調子も少しずつ悪くなってきていました。

でも、溜飲を下げる事も起きました。
僕が辞めて1年、その支店はつぶれました。
そりゃ、そうだろ。
特別成績の悪い訳でもない社員を、簡単に辞めさせていたらそうなるよね(*'▽')

とは言え、また1歩、透析と無職の世界が近付きました。

この後は、派遣などで食いつないでいく事になります。
それはまた次回の章で。


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