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泡吹いて倒れましたからね。
周りに与えた衝撃は大きかったと思います。

医師は、肝臓の問題を指摘していました。

しかし、今でこそ病気に詳しくなった僕ですが、当時はそんな知識もありませんでしたし、自分の体に何が起きてるかは全然分かっていませんでした。
エコー検査から始まり、生検などもし、肝臓を調べつくされました。

良かったのは、早めに症状が出た事です。

疲労が蓄積しており、「いつ死んでてもおかしくなかった!」
と言われました。

体が悲鳴を上げるのがあとひと月後だったら、過労死していたでしょう。
今回は根気強くやれば、回復可能です。
と言うことでした。

とりあえずホッ!

今にして思えば、四国に帰ったのも正解だったのでしょう。

時間経過のスピードが速い都会より、のんびり感のある田舎のほうがこういう病気に向いていますからね。
じっくり療養しました。

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ただ、肝炎治療ばっかりしてましたからね。

これが後々、腎不全へとつながっていきます。
この時、すでに血圧も高かったんですけどね。
170くらいあったと思います。

しかし、それをちゃんと治療せずにほっておいたんです。
何も事態を分かっていませんでしたから。

この時28歳。
32歳の時に腎不全が発覚しますから、この4年間で肝臓は回復したものの、高血圧をほおっておいたせいで腎臓の血管が詰まっていったと思われます。

病気に関しての知識不足でした。

後、この頃の半年くらいの記憶とかがはっきりしない事もあります。
あとになって、その事に気付くんですけどね。
どういう生活をしていたかも覚えていないんです。

それは、半年くらいで回復してますが、生検したのとかは覚えてますが、とにかくぼんやりしてる状態だったという事です。

まあ、透析になるまでの28歳から38歳までの間も、入退院を繰り返しながら、仕事は転々としつつも働けましたから。
ただ、はっきりしていたのは、20代の頃の体には戻らなかった事です。

仕事もなんか妙に疲れやすく、
「あれ~、なんか変だな。こんなに疲れるものだっけ?」
みたいな感じでした。

1度狂った歯車が、完全に元通りにはならず、気付かぬうちに陰で腎不全が進行していたのです。

もうちょっと、しっかり医師にかかっておけばよかったのでしょうし。
生き延びたことで、病気をなめていた部分もあります。

東京での最後の1年半は、僕も必死で働きましたから、すでに心も体も燃え尽きていた感があります。

過労死寸前までいき、この時点で僕の人生は大きく変革しました。
この後は以前から書いてあるように、働いては入院の繰り返しとなっていきます。
収入も激減。

人並み以上の生活からケチケチ生活。

病気ボンビーへの序章が始まってしまったのです。



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