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あはは(^◇^)
まあ、僕自身もね、偉そうな事言ってても、実は読んで頂いて分かるように、透析5年目辺りまではすごく葛藤がありました。

遠い病院に自力で通っていたというのもあります。

そもそもがネフローゼ(尿たんぱく)以降、お世話になった病院でそのまま透析導入となりましたのでね。
当時は仕事のため高松市のアパートにに住んでいましたし。


透析導入で彼女と別れて、僕は自転車で透析病院まで約10分の道のりを8か月ほど続けていました。

まあ、その後、家賃の問題もありましたのでね。
(透析導入にあたり、仕事は辞めました)

結局は、地元に戻った訳です。

山の中ですからね、闘病には向いているかも知れませんね。
しかし、そうなると、透析病院まで1時間半近くかけて通う事になりました。

後に地元病院に転院しますが、それでもバスで20分の距離です。
(山を下りますのでね)

あはは(^◇^)
今思うと、アパート時代はよく自転車で透析に通えたなぁ、と思います。
行きは問題ありませんが、帰りにマルナカ(香川の有名スーパー)で買い物中に、しゃがんだりしたら、立った時に立ちくらみがしてましたね。

何かあの店は「刺身」とかが低い位置にあって、しゃがまないと見にくかったんですよね。

で、しゃがんで、立つとクラクラ~って。

あはは(^◇^)
完全に起立性低血圧症ですな。

透析後はよくなってました。

今は、透析の無い日でもこれが起きます。

ただ、今と当時の決定的な違いは、回復力です。

当時はしんどくなっても、回復が早かったですね。
まだギリギリ30歳代でしたし。

料理もバンバン作ってましたが、彼女がいなくなってましたからね。
彼女がいた頃は、エステシャンですから彼女のほうが後から帰ってくるんです。

なのでね、僕も結構色々作って待ち構えてましたね。

で、一人になってるので、大量に作ってしまうと(1人分を作るのが1番難しい)食べなきゃ勿体ない!って話になる訳でして。
具だくさんの雑炊などを作っては、困った!
ってなってましたね(-_-;)

あはは(^◇^)
男料理ですから。
ニンジンや玉ねぎを3分の1だけ使って、後はラップに巻いて小出しで使うとかが出来ず、豪快に作ってましたから
あはは(^◇^)

ネギが大量に入っておいしいんですよ。

DSCN1443


最近は仕事をするようになったので、そういう凝った物は作っておりませんが。

で、地元に帰った後は、まだ当時は母が老人ホームで働いていましたからね。
晩ご飯は両親のと合わせて僕が作っていたんですよ。

母が仕事から帰るのが夜7時くらい。
当時は月水金の午前中透析でしたからね。

母が帰るとスグ晩ご飯が出てくる。
まあ、せめてもの罪滅ぼしですな。

子供の頃は、よく困らせましたから。
母が老人ホームで働いているって事は、泊りがある訳ですよ。
通常勤務でも帰りは遅いし、
よくある光景ですが、
「オカン!メシ!」
になる訳ですな(-_-;)

仕事から帰って(老人ホームの介護は重労働です!)スグに子供のメシを作らなくてはならない。
大変だったでしょうね。

まあ、そういう罪滅ぼしもあって、僕は母が帰ってきたら、スグ食べられるようにしてた訳です。
ちょっとは親孝行できましたか?
(借りを少し返したに過ぎませんが)

そういう感じで地元での透析生活が始まりました。

遠い病院でも、行くのは全然大丈夫だったんです。
お調子者なので、遠足気分でルンルンで向かうんですけどね。

帰りは年々必死の形相で帰ってました。

最初の頃は、帰り途中でガストに寄ってご飯を食べ、帰ってたんですけど、その内にそれも出来なくなっていきます。
帰りにご飯を食べた途端に、血圧が下がる傾向になってしまいました。

ガストで支払いの時、倒れそうになって、店員さんに迷惑をかけた事もあります。

病院と自宅のちょうど中間地点である「志度(しど)」っていうところで、電車からJRに乗り換えるんですが、そこにガストがあるので寄ってました。

今、思えば、あんな遠い病院によく7年近くも通ってたな!って思いますけどね。
大病院で透析してましたから。

地元の透析病院は小さい個人病院に毛が生えた程度です。
イメージ的に印象が悪かったんですな(-_-;)
(小さい病院でも透析はあまり関係しません)

で、無理して遠い大病院に行ってた訳です。

JRで「三本松(さんぼんまつ)」駅についたら、マルナカ(香川県ではいたるところにあるスーパーです)で買い物して帰る。

バスに乗る時に、またひと波乱あるんです。
バスに乗ったら、もう次は家に着きます。
(バスの停留所からは徒歩1分もかかりません)

そうすると、気が抜けるんでしょうか?
バスの中で血圧が下がる事は多かったですね。

バスに乗るまでは、持ちこたえていた血圧が、一気に下がってしまう訳です。
透析終わりにアチコチをウロウロするのも血圧が下がりやすかったんでしょうね。

バスの運転手さんは知り合いなので、僕が透析を受けてるのは知ってますから、何とかなりましたが、降りるに降りられなくなった事も度々あります。

7年かけてその兆候が大きくなっていきました。
最初の3年くらいは別にどおって事なかったんですけどね。

実は今の僕が通ってる病院は、当時の大病院の近くですな。
今は、送迎車で通ってます。
(有り難いシステムです)

あの通院をもう一度やるとなると、自信がないですな。

行きはOKでも、帰りが無理です。
なので、送迎車じゃないと不可能でしょう。

実は、現在は火木土の午後透析なのですが、それだと帰りのバスがもうなくなります。
(所詮は田舎のバスですから5時が最終です)
(地元JR駅から家までのタクシー料金は2500円くらいです。バスなら100円です)

そういうのもありますが、まあ、それより血圧の問題のほうが大きいですから。

田舎暮らしだと、そういう難しさもありますね。
なにせ、透析病院が少なすぎますから。

今思えば、あの通院を7年近くもやってたのかぁ?
と不思議に思いますね。

逆に言えば、透析も10年近くやると、体調面の異変が増える傾向に変わっていくという事です。
最初の3年くらいは、普通に通えてた事が、ドンドン苦痛になっていきましたから。
色々考える事が確実に増えていきますな(>_<)

悲しい現実です(-_-;)



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