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忘れもしません。
あれは昨年の7月13日の出来事でした。

朝、何か家の中が騒がしくて目が覚めました。
当時はパソコンも持っていなかったし、ブログ活動も仕事もしてませんでしたからね。

透析の無い日はゆっくり寝ていたんですけどね。

かすかに母の声が聞こえていました。
「どうしたん?どうしたん?」


時計を見ると朝8時を少し回ったところでした。

しばらくすると、母が僕の部屋にやってきて、

「父さんの様子が変なんやけど?」
と言ってきました。

まあ、父はこの時86歳ですのでね。
しかも、父側の親類縁者では最年長です。

割と早く死ぬ血族でしたね。
(母側は長寿血族です)

という事で、普段から自分のみならず、父の健康も気を付けていました。

この日の前日の夜も、父がトイレへ行って帰ってくる歩様をしっかり見ていましたが、僕に微笑みかける余裕もあり、大丈夫なように感じました。

朝から母に呼ばれて父の様子を見に行った時、
父は自分の部屋で横寝の状態でじっとしていました。

目は開いてますが、顔が歪んでました。

おわっ!
こりゃ、脳梗塞の症状や!

オヤジ!両手を動かしてみて?

次は足の指を動かして!

左側の動きが極端に悪いのが、素人でもスグ分かりました。

まみむめも!
言うて!

ぱぴぷぺぽ!
言うて!

呂律(ろれつ)も回ってないな。

救急車や!
オカン!
病院に行く用意!

取るものもとりあえず、救急車を呼び、症状を説明。
救急の人たちも脳梗塞の可能性が最も高いと判断されました。

父はC型肝炎と前立腺がんを持っていますので、2つの病院に主治医がいました。
それを説明すると、救急員さんが、こっちの病院には脳外科がありますが、もう一方はありませんので、こっちの病院で良いですか?

との事で、脳外科があるほうで承諾。
直ちに向かいました。

到着後、即、点滴が打たれ、同時に脳部MRIを受けました。

左側やったな。
という事は右脳か?

という事は確か、左脳が言語で、右脳は運動やったかな?
ん?
寝たきりになるかも知れんな!

一瞬に僕は凍り付きましたね。

というのも、僕はこの時は両親の年金で生活してました。
いわゆるニート状態ですな。
両親のどちらかに何かあれば、生活が一変します。

そういう不安を抱えていました。

いつかはこの日が来ると覚悟はしてましたが、透析を受けながら仕事もしなければなりませんし、その上父の介護となるとな。

厳しいな・・・(-_-;)

10年近い社会ブランクがあります。

まあ、とりあえず父の状況が大きく左右しそうだ。
と、検査結果を待ちました。

検査が終わると、医師に呼ばれ、父の状態の説明を受けました。

DSCN1469


MRI映像で、見て取れたのは、脳幹の血管が右脳と左脳に分かれてスグの部分で、右脳側の入り口付近を血栓が塞いでいました。

先生!
これは、右脳側は全滅するという事ですか?

「そうなりますね。」

恐らく今回起きてる血栓は、昨夜深夜から起きてた可能性があります。
更にご高齢という事もあって、強い薬は打てません。

という事で、脳梗塞が起きてから24時間以内に打つタイプの点滴をすでに投入していますが、右脳側はこれから1か月をかけて、徐々に機能を失う可能性が高いです。

そういう診断になりました。

とうとう恐れてた事が現実になったようです。

とりあえず、将来的には間違いなく父の介護が必要になります。
母が老人ホームの介護士さんを経験してるんで、僕の負担は小さいとはいえ、母に頼りっきりでは母に異変が起きた場合、僕はもうお手上げですから。

こりゃ、覚悟を決める時が来たな!
そう思いました。

そう言えば、今回父が倒れたのは昨年の7月13日ですが、実は昨年の2月に、父が、
「甘いものはいらん!うまくない!」
と言い出した事がありました。

父は和菓子製造業の祖父の長男で、甘いものには目がない人でした。
その人が「甘いものを嫌う?」

ん?

おかしいな?

と思った事がありました。

なるほど。
今思えば倒れる5か月前にもう脳梗塞の症状があったのだな!

と思いました。

その時は、父の歩様に異変がなかったので、そこまでは考えていませんでした。

でも、その後一時期だけ父の歩様が変わった時がありました。
毎日、仔猫村の敷地を歩かせていたんですが、いつもと歩き方が変わってた時期が確かにありましたね。

「あそこかぁ。あの時が最初の脳梗塞だな!」

後の祭りですが、しまった!と感じました。
2つの病院を月1回ずつ受診してたし、ちゃんと診てもらうべきだったな。

その後、父があまり強く言わなくても自分から積極的に歩きに行くようになってました。
恐らく父自身が何らかの異変を感じ取っていたのではないでしょうか?

さて、その後父は入院1週間で、杖をつけば歩けるところまで一端回復しました。
毎日のリハビリも順調にこなしていました。
(とりあえず病室は個室に入りました)

透析のない日は、僕も父の様子を見に行きましたが、最初は順調な回復ぶりでした。

ところが、入院から10日も過ぎた頃、朝7時ごろ病院の父から電話がかかりました。
ちょうど、個室の入り口の向かいに公衆電話があって、そこからかけてきたのでしょう。

「もうアカン!すぐみんなを連れて来てくれ!」

父が涙ながらに訴えてきました。

「分かった!待っとけ!」
僕は姉にも電話し、家族総出で病院へ向かいました。

到着すると、父は普通にいましたが、看護婦さんの話では、どうやらトイレに失敗し、病室を大惨事にしてしまったようです。

それで、
「もう自信がないわ!もうアカン!」
となったのでしょうね。

職人気質で、気の強いケンカっぱやい父でしたからね。
体も30年に渡って1日10キロ以上のマラソンで鍛えていましたから、この時、とうとうその自信が崩壊してしまったのでしょう。
30キロくらいでも平気で走る人でしたから。

この日から、父はオムツ着用となりました。
ベッドの下に、携帯トイレも置かれました。

しかし、この頃は、父の闘病はまだまだ序章でした。
今、思えば、これから父は地獄の毎日となっていきます。

僕も火木土の透析と、透析のない日は父の介護という日々になり、毎日病院通いとなるのです。
更に、介護疲れで母が倒れ、姉も倒れ、家族が崩壊していく様を次々に味わいました。

母や姉の負担を少しでも軽くするために、僕も透析がない日は、父の病院へ足しげく通いました。
昨年の今頃の話です。

午後の記事へ続く



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