スポンサーリンク
父が脳梗塞で倒れ家族が崩壊!(終焉)」の続きです。

父と似たような状況の患者さんでも、場合によってはそこから数年生き続ける事もあります。

もしも、父があのまま生き続けたら、僕ら家族はどうなっていたでしょうか?

この後、姉もそれまでが嘘のように回復していき、母もこの後、不整脈は出なくなりました。
もしかしたら、何もかもを悟った父が、あの世へ全て持って行ってくれたのかも知れません。

僕らに降りかかった、あの悪夢のような日々を。

父が旅立った夜は、僕と母と姉、そして叔母の4人で、葬儀屋さんで父と共に過ごしました。
通常は家に父を連れて帰るのだそうですが、そういう気力もなく、一端、家の前まで父を運んでもらい、お参りした後、父をそのまま葬儀屋さんに連れて行ってもらいました。

それで、葬儀屋さんで父と共に過ごす事になったのですが、
僕は一睡も出来ずに、何度も父の顔を見ました。
皆、同じような状況でした。

父が去った11月8日は日曜日で、月曜が通夜、火曜が本葬となります。

僕は火曜日に透析に行かなくてはなりません。
本葬と被ってしまいます。
とりあえず、月曜の朝になって、通っている透析施設にどうしたらよいか電話して聞いてみました。

そうしたら、今すぐ(月曜日の午前中)来たら2時まで受けられますよ。水曜まで伸ばすのはダメです。
そう言われましたので、叔父に頼み、車で透析に連れて行ってもらいました。

透析は高松市で受けておりますので、帰りに喪服を買う事にしました。

しかし、透析終わりで血圧が異常低下してしまい、喪服を買うにもフラフラの状態でした。
何しろ、この日は朝にクッキー2枚を食べただけでしたし。

何とか喪服は買ったものの、高松で動けなくなってしまい、JRの駅に向かう事が出来なくなってしまったので、
仕方なく、喪服を買った紳士服専門店の店員さんに頼み、タクシーを呼んでもらいました。

おお!
葬儀屋さんまで戻ると、親戚が全て集まっていましたし、
久々に見るイトコも何人もいたのでゆっくり話したかったのですが。

僕は血圧が低くてどうしようもなく、布団を引いて通夜の時間まで横になっていました。

やがて通夜が始まり、僕も喪主の緊張感からか、若干調子が上向き、無事に通夜を終えました。

その後、みんなで晩ご飯を食べに行ったのですが、緊張感が抜けたのか再び血圧が下がったようで、やっぱりフラフラ。

通夜の夜も、母と共に葬儀屋さんに残り、父と最後の夜を過ごしました。

さて、翌日は本葬です。

まあ、とにかく葬式の作法などは全く知りませんからね。
全ては親戚に任せっきり。

僕はまだちょっと血圧が低いようでしたが、本葬ともなると近所の人たちも大勢来ますので、喪主としてはそんな事も言ってられません。

葬儀では、やはり、父を焼き場で焼くときにスイッチを押すのが喪主である僕という事で、非常に心苦しい思いでした。

葬儀中に喪主として、挨拶もしました。

DSCN1475


長男でございます。

父は本年7月13日、脳梗塞により病院に入院しました。
この間、皆様方には度重なるお見舞いの言葉を頂戴し、誠に有難うございました。

父は脳梗塞、肺炎、高熱と、次々に病魔に襲われましたが、長年のマラソンで培ったガッツで闘病いたしました。

しかし、残念ながら、11月8日、22時33分、力及ばず息を引き取りました。

いや、むしろ「人生を駆け抜けた!」
長きに渡るマラソンのゴールテープを切ったんだと、喜んであげるべきかも知れません。

また、父はその向こうっ気の強さから、皆様方にはご不快な思いをなされた方もいらっしゃるかと存じますが、本日、この時、この死をもって、ご容赦いただきますれば、幸いにございます。
長男の私からも、父に成り代わり、心よりお詫び申し上げます。

このような父でも、長男の私にとりましては、例えぶつかり合っても、すぐに笑い合える、そんな優しい父でした。

色々な事がございましたが、本日は父の葬儀に、お忙しい中足をお運び頂きまして、誠に有難うございました。
また、至らぬ喪主ではございましたが、皆様にお支え頂き、無事葬儀が進みました事を、重ねてお礼申し上げます。
有難うございました。


父の遺骨は、今も家の仏壇にあります。
何度か、墓に入れる相談がありましたが、我が家の墓は少し寂しい場所にポツンとあり、あそこに入れるのはまだ可哀想だと言う話になってしまいます。

1周忌後にまた相談してその日取りを決める事になっております。

父の遺影は、僕が東京に出て広告制作の仕事をしていた頃、両親と姉が遊びに来て、東京ディズニーランドや横浜の中華街、また父が昔住んでいた横浜市中区を探索した際に、撮った笑顔の写真を選びました。
享年は87歳という事になりますが、62歳頃の元気な写真です。

百箇日法要の時には、また、
「父がみんなの病気を全部あの世に一緒に持って行ってくれた!」という話になります。

どうやら、親戚の中にも父に良くしてくれた叔母や叔父たちが、当時不調だったにも関わらず、父の死後、調子が良くなったと話しておりました。

我が家に垂れこめたあの苦しかった日々がウソのように消えていきました。


さて、葬儀が終わると、僕たちも普段の生活に戻ります。

かねてより、お願いしてあった光回線も無事に引かれました。
また、僕の仕事に関しても、障がい者支援の方々に相談に乗ってもらい、僕が計画したやり方でとりあえずやってみて、ダメだったら他のパソコン業務などをしてみよう!という事でまとまりました。

昨年、11月27日に光回線が通り、29日にこのブログも立ち上がったのです。
実は最初のブログ背景は青空のテンプレートで、次はリンゴの木でした。
サイト作りにも挑戦し、仕事も何とか順調に伸びてきました。

父の死と共に、僕の人工透析患者、第2章が始まったのです。



母   不整脈も出なくなり、元気に暮らしております。時々父の遺影に話しかけていますね。長生きして欲しいです。

姉   調子が良くなったのか、今はシーズンオフ(スノーボードショップが)という事もあって、友達とアチコチ遊びに行きまくっています。



完結編までお読みいただき誠に有難うございます。
お疲れ様でした(*'▽')



↓↓↓お手数ですがお帰り前に応援投票をよろしくお願い申し上げますm(__)m
にほんブログ村 病気ブログ 人工透析へにほんブログ村 その他生活ブログ 貧乏・生活苦へにほんブログ村 その他生活ブログ 節約・節約術へ
面白ブログ満載のランキングサイトへつながりますがそれで1票が入ります(*'▽')
投票されない方は、下段から拍手をしていただけますと、嬉しいです(^^)/


        スポンサーリンク