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そう言えば、僕が腎臓保存期の頃、有名うどん屋さんの工場で仕事してたんですけどね。
突然、朝、激烈な体の痒みに襲われたのですな。
まあ、今から思えば、キツイ仕事で腎機能が大きく落ち、尿毒症の症状が出たと推察できます。
当時飲んでた薬の中には、副作用で痒みが出るというのが何種類かあったため、こりゃ病院へ行かなきゃ!という事でね。
速攻で病院に行ったんですが・・・。
突然、朝、激烈な体の痒みに襲われたのですな。
まあ、今から思えば、キツイ仕事で腎機能が大きく落ち、尿毒症の症状が出たと推察できます。
当時飲んでた薬の中には、副作用で痒みが出るというのが何種類かあったため、こりゃ病院へ行かなきゃ!という事でね。
速攻で病院に行ったんですが・・・。
結局は、薬の副作用ではなく、腎機能が大きく落ちてきていた。
働き過ぎは腎臓がすでに悪くなってる状況ではよろしくないのですな。
夏場の暑い季節に、暑い場所で働いてましたから。
仕事していくのは大変ですな。
なんせ、食ってかなきゃなりません。
当時は彼女と暮らしてましたし、仕事しない訳にもいかない。
ん~(-_-;)
病気など持ってると、ロクな事にならん訳ですな。
実際にはこの1年後、透析導入となりましたんで、この頃が腎臓保存が利かなくなり始めた頃だったんでしょう。
クレアチニンも3から5へ一気の上昇。
この後は病院へ行くたび、クレアチニンが上昇していきましたね。
年が明けて2006年の1月。
仕事はビニール工場に変わっていました。
この頃はもうね、腎不全の症状が出まくってましたな。
痒みもそうですし、吐き気などでご飯もあまり食えずでした。
時々、貧血にも襲われてました。
医師からも、透析の準備を始めましょう!
と言われてましたし。
まあ、僕としてはローンがまだちょっと残ってたんで、それを払い終えるまでは何とか頑張ろう!という事で死にそうな中で必死で働きましたね。
で、5月の給料で残りのローンを全額支払い、ようやく透析に向けて動き出したという訳ですな。
あはは(^◇^)
食えないので、86キロあった体重がドンドン減っていったのに、80キロを切った辺りから、体重が増え始めました。
要は、体に水が溜まり始めたという事でしょうな。

という事でね、その後からは10年間仕事しない生活になるのですな。
若い頃、どんなに活躍していようが、いくら稼いでいようが、病気になったらおしまいなのですな。
透析になり、長く一緒に暮らした彼女とも別れ、実家に帰り遠くの透析病院に通ってました。
当時は月水金の午前中透析でして、朝早起きし、朝風呂に入った後、7時5分のバスに乗って病院へ向かってました。
8時半頃病院に着き、9時から透析ですな。
透析では、帰りの道が長い事もあるので、ムチャ引きはされなかったんですけどね。
初期の頃は悠然と帰ってました。
帰りに志度(しど・さぬき市)のガストに寄って(汽車の待ち時間があるので)、ランチを食べるのが楽しみになってました。
それが実は晩ご飯も兼ねてまして、家に帰っても何も食べませんでしたな。
5年くらいはその生活だったんですけどね。
そのくらいになって来ると、帰りに何か食べると血圧が下がってしまうようになり、家に帰るまで何も食べないようになりました。
1度、ガストで倒れそうになり、店員さんをビビらせた事もありましたな(*'▽')
なので帰りにスーパーに寄って、晩ご飯を買って帰るパターンになりました。
まあ、当時はまだ母も働いてましたんで、家のご飯担当は僕でした。
煮物が得意なのでね。
よく作ってましたなぁ。
透析が6年目、7年目の頃になると、透析帰りに体が思うように動かなくなってきました。
どうしても帰りに血圧が下がってしまい、汽車から地元駅で降りられなくなってしまったり、駅のベンチで横にならなきゃいけなくなったりというのが相次いでいました。
特に夏場がね。
こりゃ、次の夏はもうこんな遠い病院に通うのは無理かな?
そういう不安がありまして、7年目の夏を迎える前に、地元病院に転院したのですな。
最初の病院で主治医に申し出たら、スグ手配してくれて、1週間後には転院できました。
しかも、帰りは送迎してくれる事になり、それまでは帰りの事があって、思い切って引けなかった透析でしたが、地元病院では思い切って引けるようになりましたね。
月イチでレントゲン撮影があったんですが、最初の病院では透析前に撮ってたんですけどね。
地元病院では透析後の撮影だったんですな。
はい!
大きく息を吸って~!
はい!
止めて~!
バタンッ!
あはは(^◇^)
透析後に大きく息を吸って止めると、そのまま失神!
(透析あるある)
そういう事もありました~(*'▽')
レントゲンは透析前にやるのがいいですよ~。
よくぞ生き延びていますな。
駅で倒れてた事もあり、救急車で運ばれた事もあり、結構なピンチは多々あったんですけどね。
体にもメスが入ってますし。
まあ、人間はそうは簡単に死なないんでしょうな。
というか、死ぬ時はあっけないのですが。
今もなお、血圧低下攻撃にさらされていますけどね。
何とか送迎のおかげで(現在は完全送迎のある病院に移りました)通えてます。
父のお通夜の日に臨時透析をお願いしたので、送迎無しだったのですが、帰りは死に掛けましたから。
結局タクシーで帰るハメに。
10年くらいはスグですな。
透析するようになってから、時間経過が早くて困ります。
中2日もあっという間。
今日も昼から透析ですな。
(-_-;)
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働き過ぎは腎臓がすでに悪くなってる状況ではよろしくないのですな。
夏場の暑い季節に、暑い場所で働いてましたから。
仕事していくのは大変ですな。
なんせ、食ってかなきゃなりません。
当時は彼女と暮らしてましたし、仕事しない訳にもいかない。
ん~(-_-;)
病気など持ってると、ロクな事にならん訳ですな。
実際にはこの1年後、透析導入となりましたんで、この頃が腎臓保存が利かなくなり始めた頃だったんでしょう。
クレアチニンも3から5へ一気の上昇。
この後は病院へ行くたび、クレアチニンが上昇していきましたね。
年が明けて2006年の1月。
仕事はビニール工場に変わっていました。
この頃はもうね、腎不全の症状が出まくってましたな。
痒みもそうですし、吐き気などでご飯もあまり食えずでした。
時々、貧血にも襲われてました。
医師からも、透析の準備を始めましょう!
と言われてましたし。
まあ、僕としてはローンがまだちょっと残ってたんで、それを払い終えるまでは何とか頑張ろう!という事で死にそうな中で必死で働きましたね。
で、5月の給料で残りのローンを全額支払い、ようやく透析に向けて動き出したという訳ですな。
あはは(^◇^)
食えないので、86キロあった体重がドンドン減っていったのに、80キロを切った辺りから、体重が増え始めました。
要は、体に水が溜まり始めたという事でしょうな。

という事でね、その後からは10年間仕事しない生活になるのですな。
若い頃、どんなに活躍していようが、いくら稼いでいようが、病気になったらおしまいなのですな。
透析になり、長く一緒に暮らした彼女とも別れ、実家に帰り遠くの透析病院に通ってました。
当時は月水金の午前中透析でして、朝早起きし、朝風呂に入った後、7時5分のバスに乗って病院へ向かってました。
8時半頃病院に着き、9時から透析ですな。
透析では、帰りの道が長い事もあるので、ムチャ引きはされなかったんですけどね。
初期の頃は悠然と帰ってました。
帰りに志度(しど・さぬき市)のガストに寄って(汽車の待ち時間があるので)、ランチを食べるのが楽しみになってました。
それが実は晩ご飯も兼ねてまして、家に帰っても何も食べませんでしたな。
5年くらいはその生活だったんですけどね。
そのくらいになって来ると、帰りに何か食べると血圧が下がってしまうようになり、家に帰るまで何も食べないようになりました。
1度、ガストで倒れそうになり、店員さんをビビらせた事もありましたな(*'▽')
なので帰りにスーパーに寄って、晩ご飯を買って帰るパターンになりました。
まあ、当時はまだ母も働いてましたんで、家のご飯担当は僕でした。
煮物が得意なのでね。
よく作ってましたなぁ。
透析が6年目、7年目の頃になると、透析帰りに体が思うように動かなくなってきました。
どうしても帰りに血圧が下がってしまい、汽車から地元駅で降りられなくなってしまったり、駅のベンチで横にならなきゃいけなくなったりというのが相次いでいました。
特に夏場がね。
こりゃ、次の夏はもうこんな遠い病院に通うのは無理かな?
そういう不安がありまして、7年目の夏を迎える前に、地元病院に転院したのですな。
最初の病院で主治医に申し出たら、スグ手配してくれて、1週間後には転院できました。
しかも、帰りは送迎してくれる事になり、それまでは帰りの事があって、思い切って引けなかった透析でしたが、地元病院では思い切って引けるようになりましたね。
月イチでレントゲン撮影があったんですが、最初の病院では透析前に撮ってたんですけどね。
地元病院では透析後の撮影だったんですな。
はい!
大きく息を吸って~!
はい!
止めて~!
バタンッ!
あはは(^◇^)
透析後に大きく息を吸って止めると、そのまま失神!
(透析あるある)
そういう事もありました~(*'▽')
レントゲンは透析前にやるのがいいですよ~。
よくぞ生き延びていますな。
駅で倒れてた事もあり、救急車で運ばれた事もあり、結構なピンチは多々あったんですけどね。
体にもメスが入ってますし。
まあ、人間はそうは簡単に死なないんでしょうな。
というか、死ぬ時はあっけないのですが。
今もなお、血圧低下攻撃にさらされていますけどね。
何とか送迎のおかげで(現在は完全送迎のある病院に移りました)通えてます。
父のお通夜の日に臨時透析をお願いしたので、送迎無しだったのですが、帰りは死に掛けましたから。
結局タクシーで帰るハメに。
10年くらいはスグですな。
透析するようになってから、時間経過が早くて困ります。
中2日もあっという間。
今日も昼から透析ですな。
(-_-;)
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