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密閉された空間・・・。
透析室。
その先で一体何が行われてるのか、入れない人には分かるまい(^◇^)
いや、僕の透析導入は大病院の透析センターだったのですな。
1階は内科や小児科、整形外科など各科がズラリと並んでおり、検査室では尿検査や血液検査、処置室では予防接種や点滴をやってました。
透析室。
その先で一体何が行われてるのか、入れない人には分かるまい(^◇^)
いや、僕の透析導入は大病院の透析センターだったのですな。
1階は内科や小児科、整形外科など各科がズラリと並んでおり、検査室では尿検査や血液検査、処置室では予防接種や点滴をやってました。
未知の空間、透析室
2階には内視鏡やエコー検査室、皮膚科、脳外科、歯科、眼科などがありました。
その奥に、ポツンとある「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた場所こそ、透析センターだったのですな。
アレ、病院によって呼び方が違いますね(*'▽')
血液浄化室
透析室
色々でした。
最初の大病院では「透析センター」と大きく書かれてまして、その下に「関係者以外立ち入り禁止」という文字が躍ってました。
まあ、僕もこの病院には32歳でネフローゼ症候群発覚以来透析も含めると13年近く通ってた事になりますからな~。
2階の奥にある「透析センター」。
ここは未知の空間でした。
32歳の時は、腎生検(腎臓の組織を取って検査する術)を受けましたので、この病院では手術室にも入った事があったんですが、「透析センター」は当時は未知の領域でしたからな。
一見、隔離されてるようなイメージもありました。(腎不全は感染しませんので隔離はありません。)
32歳のネフローゼ発覚から6年後、僕もとうとう透析が必要となり、この「透析センター」に入ったのですな。
初回の透析では透析室全体を見渡す余裕などは無かったと思いますが、まず入ると、靴をスリッパに履き替える必要がありました。
患者が入室を待つ用のソファーもありますし、着替えのために更衣室も男女別でちゃんとありましたね。
透析センターの扉を開けて左側に更なる空間があり、そこに入るとベットと透析機器がズラリと並んでました。
(と、言っても、たった13床でしたけどね)
大病院の透析室は面白いですよ。
ちょうどね、僕が透析し始めた頃にSさんという中堅の看護師さんが病棟勤務から移って来ましたが、最初の1年は回収とかチューブを繋ぐ係しかやらせてもらえなかったみたいですね。
ん?
穿刺の力量が無いのか? とも思ってましたが、1年経って穿刺するようになったSさん。
穿刺うまいやん(*'▽')
中堅看護師でも1年下働きをさせられるんだな。
と思いました。
結構徹底してましたよ。

大病院なので色んな患者さんが転院してきてた
「その未知の空間から時々怒鳴り声がするんですけど(-_-;)」
ああ~(*´Д`)
紋巣多亜さんが吠えてるんですな~。
僕もね、最初の頃はスーパー看護師のOさんがいましたんで、そういった患者さんはいませんでしたが、Oさんが辞められた後は透析室が荒みました。
大病院の透析センターでしたからね。
病床は少ないのに、他院から転院して来られる患者さんが多かったですから。
ま、大体は転院して来られる患者さんは、何か問題のある人が大半でした。
認知症でじっとしていられない患者さん。
透析患者なのに透析拒否を続ける患者さん。
ご飯は一切食べずに酒だけ飲んでる患者さん。
ん~(-_-;)
あそこは問題患者さんの宝庫でした。
それでもね、SさんやOさんがいた頃は何とかなってました。
一部を除き、看護師さんがかなり優秀な人ばかりでしたんでね。
認知症でじっとしてられない患者さんには、最終的には手を縛るしか道が無いんですが、縛ると
「警察呼んで!」とずっと叫び続けるんですな。
ん~(-_-;)
ま、それでもSさんがそういう患者さんには献身的に対応してましたので、大きな問題はありませんでした。
一方、ご飯は一切食べずに酒だけ飲んでる患者さんは、後々分かりましたが、香川の東方面では有名な患者さんでしたな。(その行為自体が周囲に驚かれたらしい)
ホントに酒だけ飲んで、食べ物は一切食べないんですよ。
透析導入から半年ほどで栄養失調のせいか、肌がエレファントマンみたいになって、口の周辺とかが切れまくってて血だらけになってましたね。
なんせね、入院してもベッド横に一升瓶が置かれてるんですからな~。
主治医に
「食べんと死にますよ。」と言われ続けてお亡くなりになられました。
僕の透析生活史上、最も厄介だった患者さんは、2番目の透析患者なのに透析拒否を続ける患者さんでした。
別段騒ぐこともない85歳くらいのお婆ちゃんなんですけどね。
穿刺が出来ないんですわ。
と言いますのも、ベテランの温厚な技士さんが穿刺すると、2本目を刺すまでの間に1本目の針を自分で抜いてしまうのですな(*´Д`)
毎回ですからな~。
別にボケてる訳ではなく、自分の意思でそうする。
家族に無理矢理車いすに乗せられ透析センターに来させられ、穿刺すると自分で抜いてしまう。
穿刺出来ないと透析はできませんからな。
温厚な技士さんもそのうちに
「いい加減にしてくれ!」と声を荒げてしまうというね(-_-;)
刺す、抜く、刺す、抜くを繰り返して、次回からは透析に来なくなりました。
ん~(-_-;)
気持ち分からんでもないけど、備品が勿体無いわ。
使った針はもう使えないんですからな。
やる気がそこまで無い人は来なくても良いと思います。
この婆ちゃんも転院組でした。
どこ行ってもそんなんだったんだろうな。
あの時の大病院では転院を受ける事はあっても、転院させる事はどんな患者さんにもなかったんですが、あの針抜き婆ちゃんと、酒だけおじさんは転院させられましたね。
仕方ありませんな。
本人が透析を受ける意思が見られませんからな~。
こればっかりは病院でも対応不能でしょうな。
未知の世界、透析室で何が起きてるのか
前の病院も透析室は3階の入院病棟の外れにありました。
ここは24床ありましたから規模としては中規模にギリギリ入るレベルですな。
更衣室兼待合室が綺麗でした。
(ここは好感度大)
僕の住んでるところは田舎ですからな~。
人工透析のイメージってサナトリウム(沿岸や山間部にある結核などの療養所)とか隔離部屋的な印象に思われがちなんですよね。
「人工透析を受けてます」と言うと、大概の人は声を失いますね。
あはは(^◇^)
最近は「透析を受けてても元気アピール」を意識的にしてますんで、目を白黒する人が多いですな(*'▽')
「え、透析11年・・・。見えませんね。」という感じになりますよ。
どんなイメージなんじゃ?
確かになぁ。
昔隣の家にいた農家の婆ちゃんが人工透析を受けてましたな(30年くらい前)
3年くらいしか生きてませんでした。
そういったイメージがあるのでしょうな。
でもですな、香川には高松市に透析の大病院が1つあり、そこでは100床以上の透析ベッドがある上に宿泊施設とかまであるのですな。
僕の同級生のお母さんは50代くらいからもう30年、その病院で透析されてます。
メッチャ遠くの病院ですからな。
僕が最初の導入病院に通ってた頃、一緒に山を下りる福祉バスに乗ってました。
今は多分、娘さんの所に行ってるか、宿泊施設に入ってるかしてるんでしょうな。
僕が送迎付きの病院に変わったために会わなくなりましたが。
この同級生のお母さんからは色んな話を聞きました。
主に、透析室で亡くなっていく患者さんたちの話ですな。
30年も大透析病院で透析してるんで、相当な人数の仲間を失ってるでしょう。
そう言えば、今はもう透析からは撤退してる病院なんですが、そこの病院では
「あの病院に行ったら1年」
みたいに言われてましたね。
要は、透析してて動けなくなった患者さんなどが集まってた病院でしたんでね。
働く方も重労働ですから。
次第に働き手がいなくなり、透析撤退を余儀なくされました。
さっきの酒しか飲まないというおじさんもここに転院後亡くなったと聞きました。
ん~(-_-;)
未知の世界、透析室。
一見すると悲しみばかりの世界に見えるんでしょうな。
しかし、時代は大きく変わって来ています。
その話はまた後日に書きたいと思います。
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2階には内視鏡やエコー検査室、皮膚科、脳外科、歯科、眼科などがありました。
その奥に、ポツンとある「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた場所こそ、透析センターだったのですな。
アレ、病院によって呼び方が違いますね(*'▽')
血液浄化室
透析室
色々でした。
最初の大病院では「透析センター」と大きく書かれてまして、その下に「関係者以外立ち入り禁止」という文字が躍ってました。
まあ、僕もこの病院には32歳でネフローゼ症候群発覚以来透析も含めると13年近く通ってた事になりますからな~。
2階の奥にある「透析センター」。
ここは未知の空間でした。
32歳の時は、腎生検(腎臓の組織を取って検査する術)を受けましたので、この病院では手術室にも入った事があったんですが、「透析センター」は当時は未知の領域でしたからな。
一見、隔離されてるようなイメージもありました。(腎不全は感染しませんので隔離はありません。)
32歳のネフローゼ発覚から6年後、僕もとうとう透析が必要となり、この「透析センター」に入ったのですな。
初回の透析では透析室全体を見渡す余裕などは無かったと思いますが、まず入ると、靴をスリッパに履き替える必要がありました。
患者が入室を待つ用のソファーもありますし、着替えのために更衣室も男女別でちゃんとありましたね。
透析センターの扉を開けて左側に更なる空間があり、そこに入るとベットと透析機器がズラリと並んでました。
(と、言っても、たった13床でしたけどね)
大病院の透析室は面白いですよ。
ちょうどね、僕が透析し始めた頃にSさんという中堅の看護師さんが病棟勤務から移って来ましたが、最初の1年は回収とかチューブを繋ぐ係しかやらせてもらえなかったみたいですね。
ん?
穿刺の力量が無いのか? とも思ってましたが、1年経って穿刺するようになったSさん。
穿刺うまいやん(*'▽')
中堅看護師でも1年下働きをさせられるんだな。
と思いました。
結構徹底してましたよ。

大病院なので色んな患者さんが転院してきてた
「その未知の空間から時々怒鳴り声がするんですけど(-_-;)」
ああ~(*´Д`)
紋巣多亜さんが吠えてるんですな~。
僕もね、最初の頃はスーパー看護師のOさんがいましたんで、そういった患者さんはいませんでしたが、Oさんが辞められた後は透析室が荒みました。
大病院の透析センターでしたからね。
病床は少ないのに、他院から転院して来られる患者さんが多かったですから。
ま、大体は転院して来られる患者さんは、何か問題のある人が大半でした。
認知症でじっとしていられない患者さん。
透析患者なのに透析拒否を続ける患者さん。
ご飯は一切食べずに酒だけ飲んでる患者さん。
ん~(-_-;)
あそこは問題患者さんの宝庫でした。
それでもね、SさんやOさんがいた頃は何とかなってました。
一部を除き、看護師さんがかなり優秀な人ばかりでしたんでね。
認知症でじっとしてられない患者さんには、最終的には手を縛るしか道が無いんですが、縛ると
「警察呼んで!」とずっと叫び続けるんですな。
ん~(-_-;)
ま、それでもSさんがそういう患者さんには献身的に対応してましたので、大きな問題はありませんでした。
一方、ご飯は一切食べずに酒だけ飲んでる患者さんは、後々分かりましたが、香川の東方面では有名な患者さんでしたな。(その行為自体が周囲に驚かれたらしい)
ホントに酒だけ飲んで、食べ物は一切食べないんですよ。
透析導入から半年ほどで栄養失調のせいか、肌がエレファントマンみたいになって、口の周辺とかが切れまくってて血だらけになってましたね。
なんせね、入院してもベッド横に一升瓶が置かれてるんですからな~。
主治医に
「食べんと死にますよ。」と言われ続けてお亡くなりになられました。
僕の透析生活史上、最も厄介だった患者さんは、2番目の透析患者なのに透析拒否を続ける患者さんでした。
別段騒ぐこともない85歳くらいのお婆ちゃんなんですけどね。
穿刺が出来ないんですわ。
と言いますのも、ベテランの温厚な技士さんが穿刺すると、2本目を刺すまでの間に1本目の針を自分で抜いてしまうのですな(*´Д`)
毎回ですからな~。
別にボケてる訳ではなく、自分の意思でそうする。
家族に無理矢理車いすに乗せられ透析センターに来させられ、穿刺すると自分で抜いてしまう。
穿刺出来ないと透析はできませんからな。
温厚な技士さんもそのうちに
「いい加減にしてくれ!」と声を荒げてしまうというね(-_-;)
刺す、抜く、刺す、抜くを繰り返して、次回からは透析に来なくなりました。
ん~(-_-;)
気持ち分からんでもないけど、備品が勿体無いわ。
使った針はもう使えないんですからな。
やる気がそこまで無い人は来なくても良いと思います。
この婆ちゃんも転院組でした。
どこ行ってもそんなんだったんだろうな。
あの時の大病院では転院を受ける事はあっても、転院させる事はどんな患者さんにもなかったんですが、あの針抜き婆ちゃんと、酒だけおじさんは転院させられましたね。
仕方ありませんな。
本人が透析を受ける意思が見られませんからな~。
こればっかりは病院でも対応不能でしょうな。
未知の世界、透析室で何が起きてるのか
前の病院も透析室は3階の入院病棟の外れにありました。
ここは24床ありましたから規模としては中規模にギリギリ入るレベルですな。
更衣室兼待合室が綺麗でした。
(ここは好感度大)
僕の住んでるところは田舎ですからな~。
人工透析のイメージってサナトリウム(沿岸や山間部にある結核などの療養所)とか隔離部屋的な印象に思われがちなんですよね。
「人工透析を受けてます」と言うと、大概の人は声を失いますね。
あはは(^◇^)
最近は「透析を受けてても元気アピール」を意識的にしてますんで、目を白黒する人が多いですな(*'▽')
「え、透析11年・・・。見えませんね。」という感じになりますよ。
どんなイメージなんじゃ?
確かになぁ。
昔隣の家にいた農家の婆ちゃんが人工透析を受けてましたな(30年くらい前)
3年くらいしか生きてませんでした。
そういったイメージがあるのでしょうな。
でもですな、香川には高松市に透析の大病院が1つあり、そこでは100床以上の透析ベッドがある上に宿泊施設とかまであるのですな。
僕の同級生のお母さんは50代くらいからもう30年、その病院で透析されてます。
メッチャ遠くの病院ですからな。
僕が最初の導入病院に通ってた頃、一緒に山を下りる福祉バスに乗ってました。
今は多分、娘さんの所に行ってるか、宿泊施設に入ってるかしてるんでしょうな。
僕が送迎付きの病院に変わったために会わなくなりましたが。
この同級生のお母さんからは色んな話を聞きました。
主に、透析室で亡くなっていく患者さんたちの話ですな。
30年も大透析病院で透析してるんで、相当な人数の仲間を失ってるでしょう。
そう言えば、今はもう透析からは撤退してる病院なんですが、そこの病院では
「あの病院に行ったら1年」
みたいに言われてましたね。
要は、透析してて動けなくなった患者さんなどが集まってた病院でしたんでね。
働く方も重労働ですから。
次第に働き手がいなくなり、透析撤退を余儀なくされました。
さっきの酒しか飲まないというおじさんもここに転院後亡くなったと聞きました。
ん~(-_-;)
未知の世界、透析室。
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